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農業かアグリビジネスか(2/2) 農民による農業は幻想か

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foto:Manuel Antonio Espinosa Sanchez

フランソワ・ウタール (エクアドル・キト高等大学院教授)
La Jornada del Campo 2015/08/15 No.95

 農民による農業ということが、しきりに議論されている。家族農業や小規模農業という呼び名が使われることもある。様々な意見があるが、要するに、資本の論理に従って「商業的」に組織された農業であるか、自然保護、有機農業、景観保全などを含めた全体論的な展望を持つ、自営農民による農業であるか、ということだ。言い換えれば、使用価値に導かれた農業か、交換価値をベースにした農業か、ということになる。先住民の農業は、後者の農業である。

 資本を投入する新たな分野としての農業のために、産業的な農業モデルが作られた。しかし、農業への資本導入自体は、新しい問題ではない。農業は、ヨーロッパの工業化により、19世紀にはすでに、本質的な変貌を遂げていた。都市で新たな労働者階級を形成した工業労働者は、農村から集められた人々だった。新しい農業技術は、都市を潤すために発展した。そして、アイルランドで起こったような深刻な危機により、農業部門は打撃を受けた。商業資本主義の蓄積の過程の大部分は、すでに砂糖プランテーションで確立されていた。

 しかし、過去50年間、特に70年代以降急速に、農業生産が、生産から商業化までを行う農業チェーンに集中するようになった。この現象は世界中で進み、単一作物栽培が広大な範囲に広がった。

 その結果は、二つの側面に現れた。ひとつは、農業の経営単位の大幅な減少、もうひとつは、農業生産財(特に種子)や市場へのアクセス、アウトソーシングなど、様々な形式の下での、農民たちの大企業への従属だ。

 資本の論理は、「外部性」すなわち環境や社会に与える害を考慮しない。単に、生産性、物価の動向、投機の可能性など、収益と蓄積に貢献する経済的利点を計算するだけだ。それ以外の負担は、資本ではなく、自然や農村、集落、個人が払っている。

 社会的には、商業的なアグリビジネス・モデルは、雇用を喪失させ、農村住民が都市へと大量移住する原因となっている。特に南半球においては、膨大な数の人々が都市に移住したため、都市では雇用、住居、最低限の生活環境を移住者に提供することができない。1980年代のアジアにおける「緑の革命」の影響で、数百万人の農民が貧困に陥り、インドの数えきれないほど多くの小規模農家が自殺に追い込まれた。韓国でも1日に3-4件、北半球のフランスでも、2日に1件の自殺が起こっている。

 エコロジーの面でも、森林破壊が進むなど、深刻なダメージを受けた。ブラジルでは、2000年から2010年の間に、24万平方キロメートルの森林が失われた。また、土壌や水の汚染が悪化し、生態系が破壊された。

 インドネシアとマレーシアでは、すでに原生林の80%が、ナツメヤシやユーカリの単一作物栽培によって破壊された。また、土地はコモディティとなり、金融資本の論理に組み込まれた。ブラジルでは、7300万ヘクタールの土地が、外国の多国籍企業の所有になっている。

 単一作物栽培を行うために、農薬が大量に使用されたり、遺伝子組み換え作物が導入されたりするようになった。これらのことは、すべて、農業の集約的生産モデル(集約農業)と結びついている。集約農業は、長期的な影響を無視しているにもかかわらず、食料需要が増大していることによって、正当化されている。しかし、現実には、集約農業は、余剰価値の上に成り立つ経済モデルによって、運営されるものだ。国連貿易開発会議(UNCTAD)の2009年のデータによると、集約農業への民間の投資額は、1990年代の6億ドルから、2005-2007年の30億ドルへと、急激に増加した。

 農業が資本蓄積の源となったことで、土地の独占(ランド・グラビング)が進んだ。土地は、経済危機の数年間で、新たな投資分野となった。南半球の3000万-4000万ヘクタールの土地が、様々な法律の下で買い上げられた。そのうちの2000万ヘクタールは、アフリカ大陸の土地だった(デルクール社、2010年)。また、貿易の自由化によって、航空輸送と海上輸送が急増した(2万2000隻の大型船が、毎日大西洋を横断している)。航空機や船舶は、大量の燃料を消費し、大量の有害ガスを排出する。資本が目先の利益を追求する合理性は、世界経済に悪影響を及ぼす不合理なのだ。

 このような発展を遂げた第一の要因は、「無尽蔵の地球における、科学とテクノロジーによる終わりなき進歩」という、直線的な発展の考え方があることだ。この考え方が農業に適用されて、「緑の革命」となった。緑の革命の近代的な展望の中では、農民による農業は、旧式で時代遅れであり、生産性が低いという、最もネガティブな評価を受けた。そのため、農民による農業は、過去40年間、様々な要因が介在して、加速的に破壊されてきた。急速な都市化と工業化によって、農地面積は減少した。南半球の農地が特に急激に減少したが、北半球でも大幅に減少した。

 単一作物栽培は、極端な土地の集中を引き起こした(UNCTAD、2009年)。集中を加速したのは、ここ数年のランド・グラビングという新たな現象だ。これは、まさに農業の逆改革である

 第二の要因は、資本主義の経済原則の論理だ。この論理においては、資本が経済の原動力であり、発展は、資本の蓄積を意味している。従って、収益率が重要な指標となり、投機へと導かれていく。こうして、金融資本は、2007年から2008年の食料危機の主な原因となった。農業部門において資本が集中すれば、単一作物栽培が拡大する。農業は、製造業の収益悪化や金融危機などの要因によって、まさに資本の新領域となった。

 資本主義の論理が農業を支配することに対して、当然のことながら、世界中で、農民による抵抗運動が起こっている。農民は、土地の防衛のためだけでなく、森林破壊、広大なジャングルや農地を水底に沈めるダム、採掘活動や工場の操業による水質汚染などの別の側面にも取り組み、抗議活動を行っている。また、種子の独占、遺伝子組み換え作物の使用、ジャングルの私物化にも抗議している。農民の戦いは、生存がかかっているため、いよいよ過激になっている。

 では、なぜ「農民による農業」なのか? その目的は、過去への回帰というロマンチックなものでもなく、農民や先住民を小資本家に仕立てることでもない。目的は、農村社会を立て直すことだ。有効性という点から見ると、最も重要なことは、農民による農業を促進することだ。このことは、今日、国際的にも認識されている。

 農民による農業には、自給自足や都市住民への食料供給、さらには生物多様性や土壌の質の保全にいたるまで、広範な機能がある。しかし、それらが機能するためには、様々な条件がそろっていなければならない。たとえば、土地や灌漑用水の計画的な利用、バイオテクノロジー分野での支援、農業技術の改良、販路の確保、農道の整備などだ。また、社会的・文化的な諸側面を考慮することも忘れてはならない。これらのことは、国民のための総合的な農業改革の課題である。

 国家は、課題を解決するために、中心的な役割を果たさなければならない。特に、土地の独占や集中から、農民たちの土地を守ることを、約束しなければならない。また、灌漑などの基本的なインフラ整備や農村の電化、農産物市場の規制、小規模農家への融資、(病院、学校、図書館、情報処理訓練センターなどの)公共施設の整備、とくに先住民の文化的生活を守るための輸送・通信手段の整備も、国の責任において行われるべきだ。

 農民を消滅させるような農業政策が持続不可能であることは、誰もがわかっている。世界銀行でさえ、2008年に発表した世界開発報告において、自然を守り、気候変動を食い止めるためには、農民の役割が重要であることを認めている。しかし、世界銀行のこの報告書は、農業の機械化とバイオテクノロジー、遺伝子組み換え作物の使用によって、農民による農業を近代化することや、民間企業と市民社会、農民組織が協力することなどを主張している。このような考え方は、すべて、資本の再生産という同じ理念の枠内に属しており(デルクール社、2010年)、最終的には、2012年の国連持続可能な開発会議(リオ+20)における「グリーン経済」の提案につながった。

 農民による農業が、その生産方法、水の利用、市場アクセスなどにおいて、改善を必要としていることは明らかだ。改善することはできる。しかし、そのためには資金が必要だ。南半球の国々は、1農地あたりの平均面積を拡大して集約農業を行うか、または農民による家族農業や有機農業を改善していくかという、重要な選択をしなければならない。後者の方法が可能であることは、アグロエコロジーや土地の再分配、生産者組合などの様々な試みによって、証明されている。

 結論を言えば、農民による農業の推進は、ロマンチックな夢でも過去への回帰でもなく、未来への解答だ。その第一の理由は、農民による農業は、世界人口の増加に中長期的に対応可能なだけでなく、「マクドナルド化」した食事を改善することもできる、世界の食料問題の解決策であることだ。

 第二の理由は、農民による農業は、母なる大地の再生能力を回復させ、土地を保全することに役立つことだ。そして、第三の理由は、農村社会の社会的・文化的平等に役立つことだ。カール・マルクスは、資本と自然では、その再生産の速度が異なっていることから、人間と自然の間の代謝(物質を交換する関係)を断絶することが、資本主義の特徴のひとつであり、その代謝のバランスを回復させることができるのは、社会主義だけであると述べている。この考え方は、今日「エコソーシャリズム」と呼ばれるものの基本理論であり、ポスト資本主義時代の新たな理論的枠組みを模索するすべての政策の中心に据えられるべきだ。農民や先住民による家族農業を促進することは、全世界がかかわるこの問題において、最も重要である。

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