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メキシコ革命と映画

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写真:1946年、マリア・フェリックスとペドロ・アルメンダリスは「エナモラードス」に主演

ベレン・ゴメス・ペレイラ
Mexico Desconocido

 ドキュメンタリーフィルムからメキシコ映画黄金時代の偉大な作品まで、メキシコ革命の足跡を、スクリーンを通してお送りします。

 文学や絵画においてと同様、映画においても、メキシコ革命は20世紀の芸術家が最も取り上げてきたテーマです。大胆なアデリータ(*1)、ワラッチェ(*2)を履いて銃を抱えたインディヘナ、弾帯をして大きな帽子をかぶった口ひげ豊かな司令官。彼らこそは様々な作品において、メキシコという舞台を飾る人物なのです。

 しかし、1910年に始まった武装闘争は、第七芸術(*3)においても他の分野においても、その政治的歴史的意義に関心を持たれて来ませんでした。それは革命から神話が生まれたためで、むしろ民族意識の普及に寄与したり、フランシスコ・ビージャやエミリアーノ・サパタのような伝説の人物を賛美するマチスタ(*4)の伝播に役目を果たしました。

 メキシコ革命は、ドキュメンタリー形式や、米国のウェスタンを連想させる架空の物語形式で扱われ、かなわぬ恋や謙虚な英雄主義に恰好の悲劇的な舞台として選ばれました。人影のない土埃の舞う景色は、非の打ちどころのない絵であり、また、サウンドトラックのコリードス(*5)は、メキシコ史上のこの混沌とした時代の様々な姿を完璧に表すものでした。

俳優たちを追って

 ポルフィリオ・ディアスはフランス文化を愛好し、リュミエール兄弟の最大の発明品、映写機をメキシコにもたらしました。当初の目的はディアス将軍を映すことでしたが、実際には、独裁者ディアスの敵対者たちを記録したり賛美したりするために利用されました。フランシスコ・イグナシオ・マデロやアルバロ・オブレゴンのような偉大な人物たちは、その冒険の数々を報告するための専任の制作監督を従軍させていました。

 しかし、革命映画で最も輝く人物といえば間違いなくパンチョ・ビージャです。映画「北のケンタウロス(*6)」は革命映画の中で最も人気があり、最も演じられているだけでなく、彼の足跡を記録するために米国の映画製作者を金で雇っていました。事実、あの有名なセラヤの戦いは現実のものではなく、勝利者として輝いて見えるためにビージャ自身が考え出したものだったと主張する人たちもいます。

革命の神話化

 1914年にヴェヌスティアーノ・カランサが権力を握ってからは、このジャンルは大きな変化を経験します。単に報道番組的な情報提供から、虚構の芸術作品へと変化するのです。

 この事象は、それを後押ししたラサロ・カルデナス政権の間に拡大し、このテーマで最も有名な三部作「エル・プリシオネーロ13」「エル・コンパードレ・メンドーサ」「バモノス・コン・パンチョ・ビージャ」が制作されました。フェルナンド・デ・フエンテス監督のこれらの映画は、紛争の英雄的側面ではなく、戦争の気の滅入るような生々しい光景を映し出しています。

 1950年代ごろ、メキシコ革命はその現実的な視点を失い、メキシコの伝統の豊かさと活気を伝えるショーウィンドウとなります。マリア・フェリックス、ペドロ・アルメンダリス、ドローレス・デル・リオ、エミリオ・フェルナンデス通称エル・インディオら、メキシコ映画の黄金時代の大スターたちが、革命の原型に命を与えました。アルメンダリスは、笑いと銃撃戦と強盗の中の生身のパンチョ・ビージャを表現します。また、葉巻をくわえて男性の向こうを張る"ラ・ドーニャ"(マリア・フェリックス)は、女性解放のシンボルとなる一方、デル・リオは、夫の帰りを待つ従順な女性の役を演じ続けました。

検閲と失敗

 1960-1970年代、以前は革命を取り巻いていた魔法や神秘主義が消え失せ、失望感や乱暴さ、混乱といった真の顔を見せることになりました。この時代、このジャンルの映画の中で最も忘れ難い映画が上映されます。それはフリオ・ブラチョ監督の「ラ・ソンブラ・デル・カウディージョ(*7)」で、論争を巻き起こしたマルティン・ルイス・グスマンの小説をもとにした映画でした。グスマンによって作られた架空の人物が、実在の人物と非常に類似していたために、当時の大統領アドルフォ・ロペス・マテオスはこの映画の上映を禁止し、その後30年以上も禁止されたままでした。

 革命の始まりから100周年となりますが、メキシコ革命の偉大さと、芸術作品におけるこのテーマの使用は減ってきていて、ここ数年では革命を扱った試みが数個あるのみでした。それらのなかでは、アルフォンソ・アラウ監督、アレハンドロ・フェルナンデス・イ・ルセロ出演の「サパタ、エル・スエニョ・デル・エロエ(*8)」が際立っています。ある種の超自然的幻想と先住民運動的な情景描写のコンビネーションを模索したこの作品は、興行としては不成功に終わりました。

 おそらく、もう使い古されたテーマなのか、または、最近の作品が先達の栄光を甦らせることができないでいるのか、ただひとつ、確かなことは、メキシコ革命は、メキシコの文化と映画の深部にある規範・象徴・神話の世界を内包する美しい映像として保存されるということです。

*1 兵士や料理人としてメキシコ革命に参加した女性たちのこと
*2 サンダル
*3 第七芸術は映画のこと
*4 男性優位の主義の人
*5 二人で歌う民族音楽
*6 ビージャのあだ名
*7 首領の影の意味
*8 サパタ、英雄の夢の意味

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