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メキシコ、「完璧なる独裁制」に回帰か?

Rebelion 2012/07/07 (Le Monde Diplomatique)

 メキシコ大統領選で、制度的革命党(PRI、中道)の大統領候補が勝利した。左派の対立候補、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールが、大規模な不正(恐らくは本当であろう)を告発しているが、それだけではPRIの権力への復帰を十分に説明することはできないであろう。麻薬取引が引き起こす暴力が争点となった今回の選挙戦の中で、一部のメキシコ社会は、PRIが、各麻薬カルテルと「交渉」するには、より良い立場にいる、と考えたようだ。これは、ジャン・フランソワ・ボワイエ氏がルモンド・ディプロマティーク紙7月版で述べたところである(『メキシコはカルテルに立ち向かう』2012年7月)。

 7月1日(日)に行われたメキシコ大統領選挙で、テレビ映りの良いPRIのエンリケ・ペニャ・ニエト候補が38.1%の得票率で当選し、次点は民主革命党(PRD、左派)のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール候補で31.64%、3位は国民行動党(PAN、右派)のホセフィーナ・バスケス・モタ候補で25.4%、続いて新同盟党(PANAL、右派)のガブリエル・クアドリ候補2.3%であった(1)。しかし、この仮想の勝利は引き続き試練にさらされている。なぜならオブラドール候補が、集計結果は「不正」であるとし、票の再集計を要請したからである。ところで、これは、この30年間で初めてのことではない…

 1988年7月6日午後5時14分、大統領選の最初の集計では、PRDの創立者クアウテモック・カルデナス(2)が断然首位に立っており、59年間続いていたPRIの覇権が終わろうとしていた。しかしカルデナスは、与党の「強運」を持っていなかった。午後5時15分、有権者名簿の情報システムの「障害」により集計が受信されなくなった。障害が直った時、カルデナスの主要対立候補、カルロス・サリーナス・デ・ゴルタリ(PRI)が、驚くべき大差でカルデナスの上位に位置していた。サリーナスは、そのまま負けることはなかった。

 PRI政権の歴史が続く中で、前任者による次期大統領の直接指名から、選挙が行われるようになったが、不正選挙になってしまった。しかし、いろいろな矛盾を抱えたこの政党の支配が脅かされることはなかった。ともかく、PRI支配は、2000年に史上初の「移行」が突然生じるまで続いた。ビセンテ・フォックス前コカ・コーラ社幹部が大統領選にPANより出馬し、当選したのだ。71年間にわたる権力独占の後、ペルーの知識人、マリオ・バルガス・ジョサが「完璧なる独裁制」と形容したPRI政権が、終わったのである。

 その時、寡頭制支配層の夢は、まったく失われるものではなかったが、6年後には事態が変わった。市民は、「貧しい人々を第一に考える」ことを公約にしたロペス・オブラドールを選ぶように思われ、寡頭制支配層を脅かした。そこで魔法の杖がまた一振りされた。大規模であからさまな不正(3)が、オブラドール候補の勝利を奪った。対立候補のフェリーペ・カルデロン(PAN)が、0.56%の僅差で勝者となったのである。

そして、2012年7月が来た

 選挙戦や投票の間に示された多くの不正行為(票の買収、職場での投票の強制、開票所での得票の水増し、無申告の選挙経費など)を問題にするまでもなく、7月1日投票日午後の集計の進展は、PRD党員に「またか」と疑念を湧かせるものだった。夜間、ペニャ・ニエトとオブラドールの得票差は3-4%程度で一定していた。「しかし夜明け前に、得票差が突然7ポイントに広がった。つまり、最後の瞬間にトップのPRI候補の票が跳ね上がったということだ。これは2006年、最終集計でオブラドールとカルデロンの票の動向が逆転した時と同じ現象だ(4)」と、評論家のラウラ・カールセンは語っている。

 しかしペニャ・ニエトの勝利は、不正だけによるものではないようだ。というのは、今年の選挙では、主要候補二人の間に約3%の得票差(約250万票)があったからである。今回は、他のいろいろな要因が働いたことは間違いない。

 一方で、オブラドールは、選挙中、彼が率いる連立が2006年の時より分裂していて、「再統一」を進めていた。選挙戦ではもはや、「貧しい人々を第一に」だけが最優先ではなく、国内の小規模経営者をも取り込もうとしていた。国内の小企業は独占企業に押しつぶされており、メキシコ公正取引庁によると、こうした独占企業が、メキシコの経済成長を毎年2.5%押し下げる原因となっている(5)。このメッセージは、有権者の基盤にも影響を与えたであろうか? 2012年において、特に最貧困層の間で、このメッセージが関心を持たれていたであろうか?

 他方、メキシコ国民の主要な関心事は、引き続き組織犯罪の暴力だ。これは、ジャン・フランソワ・ボワイエ氏がルモンド・ディプロマティーク紙7月版で引用した調査にも表れている。カルデロン政権誕生以降、「麻薬戦争」は、苦い失敗に帰し、5万人以上の死者を出している。しかしボワイエ氏は、実際には暴力犯罪は、「2000年代初頭、政権がPANへ移行した結果、突然、爆発的に増えた」と説明している。「組織犯罪の共犯者であった政府高級官僚の大部分が、更迭された。(…)20年前から初めて、麻薬組織はたくさんの政治的関係者を相手にしなければならなくなった。これらの人びとは、様々な理由から、以前の約束に縛られているとは感じなかった。(…)ゲームのルールが変わったのだ。各麻薬カルテルは、新たな勢力範囲を支配するために対立した。そしてメキシコに『縄張り戦争』が発生した。」こうして暴力が深刻化する状況の中で、一部のメキシコ社会は、各麻薬カルテルと交渉し、合意する能力をもっていると考えられる政党を政権につける、という考えに傾いたのであろう。

 2006年、オブラドールとその支持者達は、オブラドールの勝利を認めさせるために、6週間メキシコ市中心部を占拠したが、不首尾に終わった。今年は、オブラドールには新しい支持者がある。選挙戦最中に生まれた学生運動「私は132番目(6)」だ。この運動は、PRI候補に対する各大手メディア(特に視聴率約70%の大手テレビ局テレビサ)の支援を告発するものである。イギリスの日刊紙「ガーディアン」の調査(7)では、テレビサは、2006年にも「ロペス・オブラドールを打ち負かすためのメディア戦略を実行」したことがあったが、今回もペニャ・ニエトの「国民的な資質を宣伝する」ために、多額の資金を受け取ったことを暴露した。

 街頭で数多くのデモを行った後、学生たちは今、新たな課題を負っている。それは、PRIの勝利を無効にするために、大規模な不正の十分な証拠を集めることだ。彼らの声は届くだろうか? それとも、メキシコにまた、「完璧なる独裁制」が戻るのか?


(1) 連邦選挙庁による約98.95%の開票結果による。残りの約2.4%は無効票と白票

(2) 当時の左派の国民民主戦線の候補者。

(3) Ignacio Ramonet "Le Mexique fracture" (Le Monde diplomatique 2006/08)

(4) "De la dictadura perfecta a la democracia imperfecta" (Programa de las Americas 2012/07/02)

(5) Elisabeth Malkin y Simon Romero "World Leaders Meet in a Mexico Now Giving Brazil a Run for Its Money" (New York Times 2012/07/17)

(6) 文字どおり「私は132番目」の意味。この名前はメキシコのイベロアメリカ大学で起こったペニャ・ニエトへの抗議活動から起こった。ペニャ・ニエトが、抗議する学生たちを「偽の学生」と呼んだことから、学生のうちの131人がビデオを撮影し、その中で学生証を提示した。このビデオは連帯の波を呼び起こし、共鳴した人々が「私は132番目のメンバーだ」と言ったことから付けられた名前である。

(7) Elisabeth Malkin y Simon Romero "World Leaders Meet in a Mexico Now Giving Brazil a Run for Its Money" (New York Times 2012/07/17)

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