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ラテンアメリカの11の領土問題

チリとペルーの領海線問題について、ハーグの国際司法裁判所(ICJ)が1月27日に下す判決は、1900年代のラテンアメリカで最も注目された領土問題のひとつに決着をつけるものとなる(*)。
しかし、ラテンアメリカで領土問題が争われているのは、チリとペルーだけではない。植民地時代までさかのぼる紛争もあれば、ここ数十年間で生じた紛争もある。また、2カ国以上が広大な面積の領土を争っている場合もあれば、非常に小さい島をめぐって争っている場合もある。

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BBC Mundo 2014/01/25

1. コロンビアとニカラグア

 コロンビアとニカラグアは、カリブ海のサンアンドレス・プロビデンシア列島について争っている。この紛争は、国際司法裁判所(ICJ)が下した2回の判決によっても、解決されていない。

 2007年に下された判決では、ICJは、1928年に調印された条約に従って、主要3島がコロンビアに属することを決定したが、無人島5島の主権と両国の領海は画定しなかった。

 2012年の2回目の判決では、ICJは、コロンビアによる島々の領有を再確認したが、一方で、コロンビアが長年自国の領海と見なしてきた7万5000平方キロメートルを超える海域については、ニカラグアの領海とする領海線を画定した。

 コロンビアは、この決定を歓迎しなかった。フアン・マヌエル・サントス大統領は、ICJの判決を公式には否定していないが、「適用不可能」な判決であるという見解を示している。現在までのところ、交渉を開始するためのニカラグアの努力に対して、コロンビアの反応はない。

2. ガイアナとベネズエラ

 ガイアナとベネズエラの間の国境地帯は、隣接する両国の間で、多くの争いの原因となってきた。

 領土紛争は、19世紀までさかのぼる。それは、イギリスが、植民地である英領ギアナの国境を定めたときのことであり、ベネズエラは、英領ギアナの境界内に、ベネズエラの領土であるエセキボ地域が含まれたと主張している。現在も引き続き、この地域はガイアナの領土であり、ベネズエラは、1966年の国際協定に基づいて、ガイアナの主権を問題にしている。

 この国境地域は、様々な衝突の舞台となった。2007年、ガイアナ政府は、ベネズエラ軍の兵士たちがこの地域に侵入したことについて、ベネズエラに抗議した。ガイアナ政府によれば、兵士たちは、ガイアナが自国の領土の一部と見なしている場所で稼働していた、2台の鉱山用しゅんせつ機を破壊するために、この地域に侵入した。ベネズエラは、武力の使用を否定し、その作業は、鉱山で違法行為を行っていた人々を立ち退かせるための作業だったと述べた。

 問題となっている領土は、グジャナ・エセキバとも呼ばれており、面積は約16万平方キロメートルで、ガイアナの国土の3分の2が含まれている。

3. コロンビアとベネズエラ

 ベネズエラとコロンビアは、グアヒラ半島付近のベネズエラ湾の領海線画定問題を抱えている。

 1970年代と80年代には、両国の間で多くの外交的な摩擦があった。1987年、コロンビアのコルベット艦カルダスが、問題の領海に侵入したときには、武力紛争が勃発する寸前にまで至った。

 両国は部隊を派遣し、ベネズエラはカルダスを沈没させると警告したが、コロンビア政府は、米州機構(OAS、スペイン語はOEA)が仲裁に入るまで、部隊を退却させなかった。

 1969年以降、この紛争について合意に達するために、様々な試みが行われたが、実を結んでいない。1990年代以降、両国は、この紛争についての議論を据え置くことで合意した。

4. ボリビアとブラジル

 ボリビアとブラジルの間の紛争の原因となっているのは、アマゾン川にある小さな中州である。ボリビアではスアレス島と呼ばれ、ベニ県の一部と見なされている。また、ブラジルではグアジャラ・ミリン島と呼ばれ、ロンドニア州に属している。面積はわずか2.58平方キロメートルである。

 この地域の境界は、1867年にアヤクチョ条約で取り決められ、1877年に実質的に画定している。19世紀の半ばに話し合いが行われ、それ以降、現実的にはボリビアの管理下にある。しかし、この地域の土地の大部分は、複数のブラジル人が所有している。

 1960年代、両国政府は、この島の法的な扱いの問題を先送りすることを決定した。今日まで、島がどちらの国に属するかについて、正式な決定は行われていない。

5. チリとペルー

 チリとペルーの間の紛争は、漁業資源の豊富な太平洋の3万8000平方キロメートルの領海をめぐるもので、調印された条約の解釈の違いから生じたものである。

 チリは、領海線は、陸上の国境から水平に引いた線であると主張してきた。一方、ペルーは、海岸線からの200海里水域が順守されるべきであると、常に主張してきた。

 チリは、陸の国境が海岸線と交わる地点は、182メートル内陸にあるはずだと主張している。というのは、この付近では、海岸線は北西へ傾いているからである。

 2008年1月、ペルー政府は、この紛争を解決するためにICJの仲裁を要請し、2014年1月に判決が下ることになった(*)。

 両国は、貿易相手国同士であり、かつ太平洋同盟の加盟国でもあるため、ICJの判決を尊重し、判決後も引き続き協力していくことを、あらかじめ約束していた。

6. ボリビアとチリ

 ボリビアは、1879年、チリとの戦争で海への出口を失った。それ以降、ボリビアは、太平洋への出口を求めて訴え続けてきた。

 この問題は、両国の間に、おびただしい数の紛争を引き起こし、30年以上前には、国交断絶にまで至った。

 2006年、チリのミチェル・バチェレ政府とボリビアのエボ・モラレス政府は、友好関係を樹立し、それが現在も維持されている。チリは、領土紛争を終結させた講和条約が両国間で結ばれていることを主張しているが、ここ数年は、「すべての提案を聞く準備がある」と述べている。

 対話における前進が見られないことから、2011年には緊張が高まった。チリの大統領は、すでにセバスティアン・ピニェラに変わっていた。2013年4月、エボ・モラレス大統領は、ボリビアの領土としての海への出口を獲得するため、ICJに訴えることを発表した。

7. ブラジルとウルグアイ

 ブラジルとウルグアイは、二つの領土の主権を争っている。

 一つ目は、リンコン・デ・アルティーガスである。237平方キロメートルの三角形の土地で、現在はブラジルの管理下にある。ウルグアイは、1856年の国境線画定時の間違いによって、この土地がブラジルのものとなったと考えており、それ以降、修正を求めているが、ブラジルはそれを認めていない。

 二つ目の、ブラシレーニャ島の事例は、一層興味深い。ブラシレーニャ島は、ウルグアイ川の河口の河川上の領域で、行政上はブラジルに属しているが、ウルグアイが、1世紀以上前から抗議している。2011年、この地域の最後の住民が、93歳で亡くなったため、無人の地域と見なされている。

8. アルゼンチンとイギリス

 アルゼンチンは、イギリスがマルビーナス諸島(フォークランド諸島)を領有していることに抗議しており、その主権をめぐって、1982年、両国間で武力衝突が起きた。

 1994年、アルゼンチンは、その抗議を憲法に盛り込み、平和的な手段を用い、国際法に従って、マルビーナス諸島の主権を獲得することを明確にした。一方、イギリスは、2009年に調印されたリスボン条約に基づき、EUと協同して、フォークランド諸島を自国の領土とするための交渉を行った。

 1992年に国交は回復したが、両国間の紛争は、2010年、イギリスがこの地域における石油探査を認可したときに悪化した。それ以来、アルゼンチンは、イギリスが南太平洋を軍事化し、この地域に核兵器を導入しようとしていると訴えている。イギリスは、これを否定している。

 島の住民たちは、2013年、住民投票を行った。住民の99%が、引き続きイギリスの領土となることに賛成票を投じた。アルゼンチンは、この住民投票が効力のない違法なものであるとし、この紛争が、国連の枠組みの中で解決されることを求めている。

9. ベリーズとグアテマラ

 1859年以降、グアテマラは、ベリーズ国内の1万2700平方キロメートルの土地を、自国の領土であると主張している。この面積は、ベリーズの国土のほぼ半分に相当する。

 この地域は、1763年、スペインがイギリスに使用権を譲渡し、イギリスに木材やその他の資源の開発の認可を与えた地域である。紛争は、1821年、グアテマラの独立後に始まった。イギリス人植民者が、元の条約で定められた地域外へ、活動範囲を拡大したためであった。

 イギリスの一部であったベリーズは、1981年に独立した。グアテマラ政府は、独立については、ベリーズ国民が自由に決定することを肯定したが、ベリーズが新憲法に明記した国境については承認しなかった。

 2000年、両国は米州機構を紛争の仲裁者として受け入れた。後に両国は、この紛争をICJに訴えるべきか決定するために、国民投票を実施することで合意した。しかし、2013年、グアテマラは、国民投票を行わないことを決定した。というのは、ベリーズが、国民投票の結果が有効と見なされるためには、国民の60%以上の投票がなければならないと定めたからである。

 両国政府は、今年、交渉を再開したばかりである。

10. エルサルバドルとホンジュラス

 ホンジュラスとエルサルバドルは、コネホ島の領有をめぐって争っている。コネホ島は、フォンセカ湾にある、500平方メートルの小島である。エルサルバドル軍の分遣隊が本土に戻った1983年以降、この地域は、ホンジュラス軍の兵士たちに占領されている。

 1992年、ICJは、この領土紛争についての判決を下した。ホンジュラスは、判決によって紛争は終結したと述べているが、エルサルバドルは、コネホ島の領有権については決定されていないと主張している。

 この紛争の鍵は、ホンジュラスの太平洋への出口についてであると、専門家は述べている。というのは、ホンジュラスにとって、太平洋に直接つながる唯一の経路がフォンセカ湾の経路であり、そこでは、エルサルバドルとニカラグアが、ホンジュラスの外洋への出口を脅かす脅威となっているからである。

 2013年11月、この島の主権を争って、両国の外務省が、ICJに対する外交攻勢を開始した。

11. コスタリカとニカラグア

 2010年以降、ニカラグアとコスタリカは、サン・フアン川の支流にある3平方キロメートル弱の中州の主権を争っている。サン・フアン川の南岸は、両国間の国境になっている。

 問題は、この中洲(コスタリカではポルティージョ島、ニカラグアではハーバー・ヘッドと呼ばれている)をニカラグア領としていたグーグル・マップの画像を根拠として、ニカラグア軍が中州に派遣されたことから始まった。派遣は、問題のしゅんせつ作業の警備のためだった。このしゅんせつ作業は、繰り返し、両国間の紛争の元になっている。

 コスタリカは、ICJにニカラグアを提訴し、2011年10月、ICJは、すべての部隊を紛争地域から撤退させることを命じた。しかし、環境に害を及ぼすことを防止するため、コスタリカの民間人官僚の立ち入りは許可された。

 2013年11月、ICJはニカラグアに、すべてのしゅんせつ作業を停止し、作業による損害を回復することを命じた。しかし、紛争の核心であるコネホ島の主権については、判決を下さなかった。


* 2014年1月27日に下されたICJの判決は、部分的に両国の主張を取り入れながらも、ペルーにとって、より有利な判決であった。

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