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12月1日の弾圧と左派勢力

エドゥアルド・ナバ・エルナンデス
Cambio de Michoacan (Rebelion 2012/12/14)

 エンリケ・ペニャ・ニエト大統領体制は、近年のメキシコの歴史の中でも、他に類を見ないような出来事によって、痕跡をとどめることになった。任期第一日目から、暴力、負傷者、政治犯が発生し、政府首脳部の弾圧的な性質をさらけ出しただけでなく、証拠が次々と示しているように、この出来事が、新政府を定着させ、社会運動に参加したり左派を支持したりする反対勢力を、打ち負かすために練られた計画であったことをも、隠すところなく示すこととなった。

 連邦警察幹部によって企てられた、挑発の策略を証明する写真やビデオも存在している。また、それらの写真やビデオは、デモ参加者や、メキシコ市中心部における暴動の場面に偶然居合わせた通行人さえをも、無差別に攻撃し、逮捕するという、メキシコ市警察の警察官たちの乱暴さも証明している。グアダラハラでも、国際書籍フェアの周辺でデモを行っていた「私は132番目」運動に対して、弾圧が行われた。さらには、「ラ・ホルナーダ」紙のフリオ・エルナンデス・ロペスのインタビューを受けた、匿名警察官の証言もある。その証言は、犯罪行為が明白ではない場合であっても大量逮捕を行うという命令を、(おそらくは当時のメキシコ市長マルセロ・エブラルドのオフィスから直接)受けていたという内容であった。

 ところで、メキシコ市のミゲランヘル・マンセーラ新市長は、捜査を継続することと、暴力行為による逮捕がまだ発生するであろうことを発表した。明らかにしていないことは、それらの暴力行為を行った人々や扇動した人々のみについて、捜査が行われるのか、それとも、警察の職権乱用についても、処罰があるのか、ということである。

 12月1日のデモが、予告されていた出来事であることは、はっきりしている。「私は132番目」運動が、ペニャ・ニエトの大統領就任に反対して、サン・ラサロの国会議事堂前に結集することは、あらかじめ知られていた。アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールも、その日に、全国でデモを行うことを支持者たちに呼びかけていた(メキシコ市のデモは、ペニャ・ニエトがいるはずの国会議事堂や国立宮殿からは離れた、独立記念塔においてであったが)。しかし、当局は、10日前から高さ3メートルの柵で道路を封鎖したり、囲ったりし、連邦警察やメキシコ市警察を配備していた。周辺住民の迷惑は、お構いなしであった。それは、平和的な集まりに備えるというよりは、むしろ、起こるかもしれない衝突への不安をかき立て、国民を怯えさせることを狙ったものであった。非常に急進的なグループが抗議活動に参加し、すぐに警察と衝突するような事態になる可能性を、当局は排除しなかった。

 そうした状況下での、まさに警察側から計画された挑発行為は、様々な効果を持つと思われる。一方では、潜入や挑発によって、「私は132番目」やその他の「(ペニャ・ニエト大統領)押しつけに反対する戦線」の学生たちを、暴力行為と結びつけ、社会的に孤立するように仕向けることは、難しいことではないだろう。他方では、歴史家で政治学者のロレンソ・メジェルがその発言の中で指摘したように、社会に恐怖のムードを引き起こし、その恐怖が、将来における街頭での抗議集会のやる気を挫くだろうということだ。そして、出来ることなら、(テレビサのスポークスマンのカルロス・ロレット・デ・モーラがその記事の中で試みたように)ロペス・オブラドール自身やMORENAをも、あの日メキシコ市中心部やその周辺に広がった破壊行為と結びつけ、MORENAが政党として登録されることを、棚からぼたもち式に防ぐということである。

 もしそれが、見込まれていた効果だとしたら、完全には達成されておらず、また、ペニャ・ニエト政権やメキシコ市政府の張本人たちに、跳ね返ってくる可能性さえある。というのは、警察による作戦が練られたのは、まだフェリーペ・カルデロン前大統領の在任中で、ヘナロ・ガルシア・ルナ前公安大臣が警察の指揮をとっていた時期だからだ。ペニャ・ニエト政権が陥っている矛盾(例えば、ビデオや写真に証拠があるにもかかわらず、ゴム製の弾丸を使用したことを否定していること)や、デモ参加者や、デモには無関係な市民の大量逮捕という状況は、あからさまであり、度を越していて、秘密にしておくことは不可能だ。

 しかし、弾圧と威嚇行為は、メキシコ市政府を、いくつかの最も組織化され、かつ活動的な社会的基盤から引き離すことにおいては、ある程度の成功を収めた。そのメキシコ市の政権を、民主革命党(PRD)の候補者が勝ち取ったのは、今回で連続4回目である。今回の勝利は、PRDとロペス・オブラドールを支持する活動員たち全員の努力で勝ち取ったものでもあるが、しかしまた、選挙戦の時期から、制度的革命党(PRI)とペニャ・ニエトに反対していた「私は132番目」や、その他の多くのグループの学生たちによって広められた運動によるものでもある。そして今、弾圧という危機の中で、この戦線は、社会的に分散している状態である。メキシコ市政府の各機関は、12月1日の弾圧の実行に加担し、現在も14人の市民を投獄したままである。14人が投獄される原因となった罪状は、一般には公表されていない。

 確かに、ロペス・オブラドールは、弾圧が発生したとき、すぐにそれを告発した。そして、ミゲランヘル・オソリオ・チョング新内務大臣と、任命されたばかりのマヌエル・モンドラゴン制度的防衛立案副部局長の辞職を要求した。しかしその後、オブラドールは、逮捕された人々の釈放を求める集会にも、弾圧の責任者の処分を求める集会にも、MORENAを呼んでいない。だが、呼ぶべきである。というのは、学生たちの運動が、メキシコ市長選挙において、左派の勝利に貢献したのであるから、従って、それは、オブラドールに正当性を与えることになるからだ。

 もし、新党MORENAが、将来において現実的に左派の一勢力になるつもりならば、社会運動や、憲法によって保証された諸権利を守る運動とのつながりは、政党登録するための要件を満たすことと同様に、重要なことである。

 「私は132番目」は、現在のところ、まさに弾圧の効果によって、後退している。しかし、この弾圧は、新たに運動を再編成し、街頭での勢いのあるデモ活動に駆り立て、その他の「押しつけに反対する戦線」の各組織と共に、その召集力を再び示す、原動力ともなり得る。いずれにしても、公立私立大学の学生を解散させ、まだ刑務所にいる14人の政治犯の釈放を求める活動を制限することができるものは、間近に迫っている冬休みであろう。

 PRDは、その歴史の中で最大の倫理的、政治的危機に陥り、もう何も期待することはできない。PRD内の覇権主義的な派閥であるヌエバ・イスキエルダは、弾圧で刑務所をいっぱいにし、2人の重症者を含む多数の負傷者を出し、ペニャ・ニエトの大統領就任のわずか1日後に、いわゆる「メキシコのための協約」に署名することを決定した。この決定は、PRI復帰の政治的見取り図の中に食い込むことを交渉するための手段であった。前述の協約が、議会の左派を政治的にPRIに取り込む一つの形であったことは、明白である。というのは、戦略的同盟ということであれば、PRIはすでに、国民行動党(PAN)と同盟を結んでいるからだ。また、協約の内容の大部分は、ペニャ・ニエトとその仲間が、同盟なしで進められるような政府の政策であることや、また、いずれにしても、これから議会に提出する一つ一つの問題は、改正案や新法案の形になったときには、個別に交渉できるであろうことから見ても、協約が左派をPRIに取り込むためのものであったことは、明らかである。そして、この協約は、エネルギー部門やメキシコ石油公社の民営化と関係のない約束は、どんな約束であっても引き受けない協約である。

 PRIの政権復帰が告げる弾圧の急激な拡大や、極度に新自由主義的な性質の、いわゆる構造改革プログラムの進展の前に、効果的な障壁を設けることは、「私は132番目」のような社会運動や、「正義と尊厳による平和のための運動」、「押しつけに反対する戦線」、人権擁護の各組織によってのみ、可能なことである。あるいは、MORENAによっても可能であるかもしれない。しかしそれは、現在の選挙自閉症から抜け出して、社会運動と結束することを決心するなら、可能ということであり、議会で政党として存続することを考えている現在のところは、不可能である。

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