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グスタボ・ペトロとは何者か?

人は、何をどのように行ったかで判断される。しかしまた、人は、変わっていくものでもある。

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foto:teleSUR

フェルナンド・ドラド
ALAI, America Latina en Movimiento 2014/04/07

 グスタボ・ペトロは、今日まれに見る人物だ。ペトロは、公式には政治活動をすることはできないが、活動している。政治活動の資格を15年間停止されたが、政治をやっている。しかも、良い政治を! ボゴタ市長を解任されたペトロは、コロンビアが長年苦しんでいる非民主主義的な体制の被害者のシンボルとなった。ペトロは、有権者の関心の低い選挙戦のさなかで、大勢の有権者を集めることができる唯一の人物だ。有権者は、ペトロの呼びかけに応じる。しかも、熱狂的に!

 だが、グスタボ・ペトロとは、何者か? ペトロは、クンディナマルカ県シパキラの青年市議会議員を務めた後、4月19日運動(M19)の活動員となった。その後、下院議員を経て上院議員になり、すばらしい働きをした。ペトロの主な仕事は、マフィア政治家と準軍事組織のつながりを告発することだった。ボゴタ市のサムエル・モレーノ政府の汚職スキャンダル、いわゆる"請負カルテル"を暴露した。新しい民主極党(PDA)から大統領選にも出馬した。そして、2011年、進歩党からボゴタ市長選に出馬し、当選した。

 ペトロが政治家としてすばらしい経歴の持ち主であることは明らかだ。ペトロが不誠実であるとか、不正な目的のために政治家の立場を利用していると訴える者は、一人もいない。しかし、相手の痛いところを衝くため、当然、強力な政敵はいる。和平交渉に署名して1991年に武装解除したゲリラ組織出身であることは、初めのうちはプラスになった。しかし、武力紛争の悪化と、すべての革命武装勢力の信用を失わせるためのマスコミのキャンペーンによって、ペトロに対する抵抗が強まった。M19による最高裁襲撃占拠事件(1985年)が、過去の過ちとして重くのしかかった。

 しかし、われわれが知りたいのは、今日、グスタボ・ペトロは、どのような政治的意見を持っているのか、どの社会階層を代弁しているのか、大規模な大衆運動の先頭に立つ可能性があるのか、奴隷制度や封建制度を継承する極右的な大土地所有者の支配を終わらせようとしているのか、最も保守的で聖職者至上主義的な国であるコロンビアの社会構造を変えようとしているのか、ということだ。

 1930年代にソ連から導入された理論的伝統を受け継いだラテンアメリカの左翼は、ペトロのような人物を解釈したり評価したりするとき、常に見誤ってきた。ホルヘ・エリエセル・ガイタンについてもそうだった。コロンビア共産党は、ガイタンがイタリアに留学していたことと、ムッソリーニに似た話し方をすることから、ガイタンの意見や活動について深く知ろうともせずに、ネオファシストであると非難した。

 また、フィデル・カストロについても、キューバ共産党は、ブルジョア階級のスパイであると非難していた。ウーゴ・チャベスについては、クーデターを起こした軍人であることと、戦略上、ベネズエラの寡頭支配層だけを攻撃し、米国の帝国主義を攻撃していなかったことから、当初は、左翼の大部分が、チャベスに同調しなかった。エボ・モラレスやラファエル・コレアとも、大きな距離をとっていた。

 ペトロを理解するためには、概念をもう一度確認しておくことが重要だ。マルクス主義的には、指導者というものは、単に歴史の中での偶然の出来事でありながら、その時代を決定づけるものでもある。マルクス主義の古典によると、社会は階級(や、民族や国籍、性別、年齢、宗教などを単位とする集団)に分けられ、それらの階級や集団は、政党や運動に組織化される。各政党は、指導者を選出する。指導者たちの中には、その社会の最も良い面と最も悪い面が凝縮されている。従って、その社会の限界や誤りを克服するためには、組織化と集団指導が不可欠になる。

 しかし、グスタボ・ペトロの場合は、一律ではない、より複雑な見地から解釈がなされるべきだ。というのは、ペトロが属する二つの社会(世界とコロンビア)は、目もくらむような速さで変化していて、人口の大部分がプロレタリア化していく過程にあるからだ。コロンビアは、40年とかからずに、農村から都市へと変わった。コロンビア経済は、麻薬密売組織の資金を元にした資本の蓄積に支えられ、何百万人もの農民を農村から立ち退かせる暴力の中で、25年以内で完全にグローバル資本主義に組み込まれた。そして、コロンビアの経済は、ラテンアメリカ第6位から、ブラジル、メキシコに次いで第3位になった。

 基本的には都市のプチ・ブルジョア階級を代表していたM19の大方の指導者たちと同様、ペトロも、1991年のM19の武装解除後、体制に復帰し、適応した。その先駆けとなったのは、セサル・ガビリア政権の保健大臣となったアントニオ・ナバロだった。その後、エルネスト・サンペール政権時代に、M19民主同盟(M19が武装解除後に結成した合法政党)の多くの党員が、比較的重要な地位を獲得した。その中には、ブリュッセルのコロンビア大使館員に任命されたペトロもいた。M19民主同盟の幹部の多くは、出世至上主義と快適な生活を受け入れ、財団やNGOを設立し、中には後に"ウリベ派"に接近する者もいた。それ以外のメンバーは、復帰できなかった。

 しかし、ペトロはそのような出世至上主義の路線を進まなかった。ペトロは、ビア・アルテルナ運動を組織し、1998年、下院議員に選出された。そして、自らを準軍事組織の強敵として知らしめ、準軍事組織と旧来型の政治家たちの結びつきを告発した。ペトロは、その勇敢で大胆な行為によって、2006年のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、コロンビアの指導者として一躍有名になった。ペトロの主張は、状況に応じて次第に形成されていき、現在は、1991年憲法を回復すること、公共のものを守ること、貧困層や社会的弱者を社会的・経済的に包摂すること、公共の利益のために官民が協力することが中心となっている。

 この主張によって、ペトロはボゴタ市長になった。市長になる前に、ペトロは、ボゴタの公共サービス(エネルギー、水道、電話、ごみ回収)を請け負っている各企業を一つに統合することを提案し、大資本家たちをおびえさせた。このペトロの提案に対し、大資本家側は、ペトロが経済を混乱させていると非難して、滑稽なほど大騒ぎした。市長就任後、ペトロはごみ回収を請け負っていた強力な企業と対立したことから、公共サービスを行う公企業(UESP)を設立した。憲法裁判所の指示に従い、ごみ回収に民間のリサイクル業者も参加させた。法令により、都市整備計画(POT)を承認した。この計画では、大手都市開発事業者の利益よりも環境が優先され、広範な部門の市民を社会的に統合することが約束された。また、最低限必要な量の水を貧困層に保証し、公共交通機関の運賃を引き下げた。

 これらの政策のために、寡頭支配層は激怒した。彼らは、2018年の大統領選で、ペトロが手ごわいライバルになるだろうという恐怖を感じた。そこで、ペトロを大衆迎合主義的で無能だと評価した。そして、オルドニェス検察庁長官に働きかけてペトロを解任し、政治活動の資格も停止させた。ペトロは、支持者を集めて抗議し、コロンビアの司法制度の矛盾を暴いた。また、司法機関上層部(国家評議会と司法最高評議会)内の腐敗した権力の存在を明るみに出した。そのため、サントス大統領は、米州人権委員会(CIDH)による罷免撤回の判断を無視せざるを得ず、結果的に、非民主主義的で人権を侵害する真の姿をさらけ出すことになった。

 一方、伝統的な左翼は、ペトロを理解していない。彼らは、ペトロを同盟者ではなく、競争相手と見なしている。ペトロがたどった変遷と過ちの原因や状況を考慮せず、若き日の"過ち"を徹底的に非難している。コロンビア革命軍(FARC)がバジェ・デル・カウカ県の県議会議員11人を殺害したために、ペトロがFARCと一線を画することを決定したときも、ペトロを理解しなかった。武力紛争の被害者への補償と土地の返還をペトロが提案し、就任したばかりだったサントス大統領が人気取りのためにそれを採用したときも、ペトロがサントス大統領に協力したことを容認しなかった。ペトロをボゴタ市長に一挙に押し上げたサムエル・モレーノ元ボゴタ市長に対する汚職の告発にも、同調しなかった。まして、ペトロが憲法制定議会の招集をスローガンに掲げる今、ペトロを理解しないであろうことは言うまでもない。

 なぜなら、伝統的な左翼は、危険を冒すことに慣れていないからだ。彼らは心配や不安でいっぱいだ。だから、現在の情勢に触れない理論上のスローガンにしがみついている。戦術は得意分野ではなく、申し分のないチャンスを取り逃がし、あきらめきっている。政敵と戦術的な取り決めをすると考えただけで、びくびくしている。一国の政治と政党政治を区別していない。万年野党体質で、そこから出ようとしない。

 それに引き換え、ペトロは、先頭に立って危険に身をさらしている。無謀なことを大々的にやってのけ、それによって、恐れを知らない大胆な政治家と見なされるようになり、評価を積み重ねている。ペトロは、話を聞かせることにたけている。政治的な行動を起こして政府や国民と対話することが巧みだったハイメ・バテマン(M19の創設者)の精神を受け継いでいる。しかし、多くの人々が"急速な方向転換"と見なしたその対話のさなかでも、ペトロは首尾一貫した方針を持ち続けた。ペトロは、民営化政策の本質と向き合った最初の市長だった。そして、そのために罰せられた。

 だからこそ、今日ペトロを取り囲んでいるのは、ボゴタ市役所の元役人と、「今すぐ憲法制定議会を!」というペトロのスローガンに同調する進歩党の幹部と、ペトロが呼びかける集会に参加する支持基盤(大部分は都市部の若者)"だけ"だ。しかし、また、農村でも都市でも、非常に大きな支持を得ていることは、疑いようがない。それらの地域の住民たちは、ペトロを、非民主主義的な寡頭政治の被害者と見なしており、また同時に、コロンビアの真の民主化や新自由主義に対する民衆の勝利へ向けて前進することを可能にするかもしれない、有望な選択肢とも見なしている。

 今日、ペトロは、90年代のペトロと同じではない。おそらく、このままいけば、都市部で秘かに形成され、すでに集会などで熱烈に意見を表明しているプロレタリア階級の大勢の若者たちの層と、合流するだろう。農民運動(農業サミット)とは、すでに合流している。農民運動は、新自由主義体制に決定的な戦いを挑むため、その活動を、嘆願書や要望書を提出することから、コロンビアの民衆全体と融合できるような真の組織母体を構築することへと、質的に飛躍させようとしている。

 ペトロは、憲法制定議会の招集をスローガンに掲げている。それは、政治家として生き残り(それがペトロに残された唯一の手段だ)、国民の運動を広い範囲に拡大し、政治活動の停止処分の撤回を求めて米州人権委員会に働きかけ、その結果、2018年の大統領選挙に立候補できるようにするための戦略だ。これは、理にかなっているし、予想されていたことだ。

 しかし、主要な都市で集会を行うという戦略は、消耗が激しく、すぐに力尽きてしまうかもしれない。憲法制定議会の招集支持を決定した進歩党だけと協力する方針を継続するなら、なおさらだろう。現在のペトロは、そのように縦の活動をしており、横同士のつながりはない。しかし、それでは、市民組織や大衆組織の明確な方針が見えてこないし、憲法制定議会が構造の変革へとつながるのか、それとも、表面上の変革にとどまるのか、はっきりしてこない。

 だからこそ、大衆運動が呼応することが必要なのだ。(選挙で投票をしていない)大勢の国民と合流し、そこから、大衆組織の強く広範な動機づけや方向づけが生じれば、ペトロは、今後大きな力となるかもしれない。ペトロは、すでにカリ市で、民主主義のための委員会を各地区に設置するように呼びかけた。しかし、やるべきことはまだたくさんある。国民に組織作りのやる気を起こさせるような、シンプルだが心に響くスローガンを掲げなければならない。コロンビアの真の変革を渇望している大多数の民衆の意気を、高揚させなければならない。

 寡頭支配層は、手をこまぬいている。ペトロは現在、支配階層や体制の最も手ごわい敵だ。大資本家たちは、伝統的な左翼がペトロと手を組まないことを確信している。左派同士の反目によって、ペトロの勢いをそぎ、ペトロの存在感を薄れさせることが容易になるように、できる限りのことをするだろう。すでに検察庁やその他の"司法"機関では、ペトロを刑事法上の有罪にし、公職追放へと追い込むための、新たな訴訟の準備が行われている。

 伝統的な左翼がペトロと手を組まないなら、これから起こる大衆運動は、彼らの頭越しに展開していくだろう。プロレタリア的な性格を持つ新しい革命的な左翼が、その展開の中で状況に応じて現れ、組織化の途上にある新しい大衆運動と一つになり、さらには、その運動を率いるようになるだろう。プチ・ブルジョア階級は、かつて大衆運動の指導を試みたが、すでに失敗している。ペトロだけが、ますますプロレタリア化していく中流階級の代表として、前進し、国民全体と融合していくことができる状態にある。

 情勢を分析すると、多国籍企業の大資本家たちと寡頭支配層は、憲法制定議会の招集をすぐに認めたりはしないだろうということがわかる。彼らには、そのような危険を冒すほどの度量はないし、自らの権力が不安定で脆弱であることにも気づいている。また、保守派内でも、"サントス大統領と多国籍企業の大資本家たち"と、"ウリベ元大統領と昔からの大土地所有者たち"との間に食い違いがあり、その食い違いは、対立というほどではないが、深刻ではある。そうしたことから、彼らは、1991年憲法制定時の柔軟性を持つことができないのだ。

 この状況は、民衆やプロレタリアの運動にとっては好都合だし、ペトロは、そのことを、心底本気で認識しなければならない。従って、当面の最も重要な課題は、民衆のすべてのセクターをひとつにすることだ。なぜなら、それによって、われわれはペトロと合流し、ペトロの戦いを強化できるし、それは、われわれ自身のための戦いでもあるからだ。そして、プロレタリア勢力も、反資本主義と資本主義後の社会について真剣に考えているならば、この戦いのプロセスの中に加わって、自主性を保ちつつも、統一と柔軟性をもって活動するべきだ。

 希望を持って前進するための機は熟している。ペトロは、民衆によって保護され、支援されるべきだ。寡頭支配層は、ペトロの勢いを止めることができないとわかれば、ペトロを殺害しようとするだろう。しかし、その時には、平和的で民主的な民衆の力が、殺害計画の前に立ちはだかる壁となるだろう。

 憲法制定議会の招集を求める運動は、すでに動き出した。この運動は、統一された計画と戦略的な目標を設定して、大規模で総合的なビジョンをもって進められるべきだし、非常に広範な大衆組織や市民組織を奮い立たせるものでなければならない。ペトロは市長職を退いた。しかし、コロンビアからは退かない。現在の状況において、ペトロとなら自信を持って前進できる。国民は、すでにボゴタ市民の指導者となっているペトロを、コロンビア国民の指導者に作り上げるべきだ。

2014年4月6日 ポパヤン市

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