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メキシコの写真の歴史

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写真:芸術スタジオ内のフリーダ・カーロ。1932年(Manuel Alvarez Bravo)

レベッカ・モンロイ・ナスル
Mexico Desconocido

 1840年2月26日、メキシコの日刊紙「エル・コスモポリータ」に、フランス人発明家ルイ・ジャック・ダゲールが作ったある機材のくじ引きについて、広告が載りました。

 その機材とは、ダゲレオタイプの写真機一式と80枚の銀板でした。それは、メキシコに持ってこられた最初の写真機材で、発明後わずか6か月しか経っていませんでした。機材が到着すると、写真の利用は素早く普及し、「光で描かれた画像」を作ったり再現したりする新たな専門家が出てきました。

 こうして、国内の主要な都市に、多くの写真スタジオが開設されましたが、そこへ「肖像を写してもらう」ために出かけていくのは、最も裕福な人々だけでした。代金が非常に高額だったからです。写真が取られるようになった最初の数年間、最も進歩したのは、肖像写真の分野でした。しかしまた、風景や先スペイン時代の遺跡、都市の景観も撮影されましたし、さらには、戦場での出来事まで記録されるようになりました。そうしたメキシコの写真を撮影したのは、メキシコ人だけではありませんでした。例えば、ジョン・ロイド・スティーブンズ、フレデリック・キャサーウッド、デジレ・シャルネイなどの外国人は、遺跡地区で熱心に撮影し、テオドール・ティフローは、国内の様々な鉱山を撮影しました。

 メキシコで、ダゲレオタイプの写真機が使用されたのは、主として1840年から1847年にかけてでしたが、その後、他の撮影技術が持ち込まれたため、廃れていきました。その新しい技術というのは、主に1848年から1860年にかけて使用された、アンブロタイプとフェロタイプで、低価格であったことから、庶民も写真撮影に手が届くようになりました。しかし、画質があまり良くなかったため、露光時間がもっと短く、コントラストがはっきりとしていて、様々な色調を出すことができる別の技術が使用されるようになりました。それは、コロジオン湿板でした。これによって、写真が商業として発展し、さらに革新的なことには、同じ画像を大量に複製することが可能になりました。

 複製技術をうまく利用した例は、1863年から1866年までの、マクシミリアーノとカルロタの帝政期に見られます。彼らは、自分たちの写真を宣伝のために大量に配り、それによって、写真は、様々な意図や社会的用途を実現するようになりました。ポルフィリオ時代には、港や国営鉄道の建設を記録したり、国内の様々な地域や遠隔地の大農園を見るために、記録写真の撮影が盛んになりました。ポルフィリオ・ディアスは、記録写真の撮影のために、アベル・ブリケット、チャールズ・B.ウェイト、W.スコット、ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンら、外国人写真家を雇いました。

 ポルフィリオ時代には、自然を撮影することで、先住民を民俗学的な視点からとらえることも広まりました。このジャンルの優れた写真を撮影した人々のひとりが、イバニェス・イ・ソーラでした。この風俗描写というジャンルは、写真の中の人物を現実から切り離して理想化したもので、外国で大きなブームとなりました。一方で、建築物を題材とした写真は、その分野で最も優れた表現者であったギジェルモ・カーロの作品中に見られました。また、ウゴ・ブレーメの作品においては、風景は非常に質の良い、牧歌的な雰囲気を醸し出していました。しかし、やはり商業的な肖像写真が、その世紀末の特筆すべきジャンルであることに、変わりはありませんでした。最も有名な写真スタジオとして、アンティオコ・クルセスとルイス・カンパが共同経営していたスタジオや、バジェト兄弟、セレスティアーノ・アルバレス、ハリスコ州のオクタビアーノ・デ・ラ・モラ、サン・ルイス・ポトシのペドロ・ゴンサーレスなどのスタジオを挙げることができます。この時代の最も有名な肖像写真家の一人は、グアナフアトのロムアルド・ガルシアです。大農園主や地主から鉱夫、労働者、農夫まで、非常に広範な社会階層の人々が、ガルシアのレンズの前を通り過ぎ、ポーズをとり、その時代の社会の見事な縮図を形成しました。

 1910年に始まったメキシコ革命がもたらした変化も、勇敢な写真家たちの感光板に記録されて残りました。多くはスタジオ写真家で、報道写真家もおり、従軍した写真家はわずかでした。しかし、彼ら全員が新たなイコノグラフィーを作り上げることに貢献したことは、疑いようのないことです。この新しい現実に対応して、最新の技術と様々な様式を持つ新しいテーマが台頭してきました。そのことは、国内外の写真の感光板を収集したアグスティン・カサソラの写真集で確認することができます。それは、広範で貴重な記録資料であり、1911年以降、様々な新聞や雑誌に報道写真を配信する通信社として、オリジナルを保管していたものでした。

 勇敢な「アデリータ」たちや、決然とした「フアン」たち。革命の魅力を写した写真によって、写真の世界の変革が始まり、その成果は革命後の時代に引きつがれました。1920年代には、メキシコの魅力、社会格差、社会的、政治的、経済的、文化的側面において改革を行うという新政府の約束などが、二人の外国人写真家をメキシコに引き寄せました。アメリカ人のエドワード・ウェストンと、その同伴者でイタリア人のティナ・モドッティでした。彼らの写真における視点は非常に前衛的で、写真は写真の美しさを持った芸術であって、絵画の決まりごとにはとらわれないという考えを持っていました。

 この新しい潮流は旧弊な意識を揺さぶり、多くの新しい芸術写真家が生まれました。中でもマヌエル・アルバレス・ブラボとローラ・アルバレス・ブラボがよく知られています。報道写真の世界でも、社会的、文化的現実から、新しいニュースのとらえ方が必要とされるようになりました。そのため、画質や仕事のスタイルを改善することが求められました。1930年代から1940年代までに最も盛り上がりを見せたジャンルは、報道写真でした。というのは、その時代は写真入りの雑誌の黄金時代だったからです。その時代の写真はユーモアのセンスを多分に含み、批判的かつ痛烈で、とりわけ大胆なニュースを提供し、非常に斬新な構図や撮影アングル、芸術性の高い要素が盛り込まれていました。この時期には、カサソラの息子、甥や、エンリケ・ディアス・レイナ、エンリケ・デルガード、ルイス・センデハス、マヌエル・ガルシアなど多くの報道写真家が、様々な新聞社や雑誌社で働き、報道写真の分野で革新的な活動を行いました。1950年代になると、報道写真は硬直化し、政府に迎合する傾向を示すようになりました。

 こうした時代の傾向とたもとを分かち、批判的な写真を撮り続けていたのは、主としてナチョ・ロペスとエクトル・ガルシアという二人の若者でした。彼らは鋭く痛烈な報道を継続し、国内メディアでの彼らの仕事は、1968年、学生運動の勃発後に大きな成果を結びました。

社会的告発としての写真

 1970年代には、顕著な社会的意図の下に、様々なスタイルの融合が見られました。こうして、肖像写真、フォト・エッセイ、フォト・ルポルタージュ、記録写真などによって、社会的、経済的、政治的不条理を告発することが行われました。メキシコ人写真家たちは、ラテンアメリカ化されたニュアンスを取り入れ、その告発の写真は、国内の作品の中でも際立っていました。1976年、これらの写真家たちは、メキシコ写真委員会を設立し、多くの国際的な集会を開催しました。中でも、1978年に初回の会合が実現したラテンアメリカ写真討論会は、特筆すべきものでした。

 また、この時代の大きな成果のひとつは、他の造形作品とは異なる、独自の世界を持つものとしての写真の概念形成でした。こうした活動の結果、1980年、写真展ビエンナーレが創設されました。

 一方、異なる目的を持つ写真家のグループが、内面世界を再現したり、現実をより美的にとらえようとしたりしました。彼らは、イメージを作ることや舞台の組み立て、遊び心のある写真を撮ることを主張し、最高の技術品質をもたらしました。それは、写真の含意を掘り下げることに意義を見出し、形態的な側面をほとんど顧みなかった報道写真とは異なるものでした。しかし、マリアナ・ヤンポルスキー、グラシエラ・イトゥルビデ、ペドロ・メイヤー、ヘラルド・スーテルなど多くの写真家は、弁証法的な平衡点を見つけ出し、主題についての説得力のある中身を持ちながら、品質の高い作品を生み出しました。

 写真のなすべき仕事やその実現方法は広がり、写真家の役割は、この160年の写真の歴史の中で、想像を絶するほど大きく拡大しました。現在、写真研究センターは公的機関となっていて、イベントや講義、講演会、各種出版物編集の中心的役割を担い、写真展ビエンナーレや、1994年に始まった報道写真展を開催しています。また、有名なセプティエンブレ写真展の開催者でもあり、そこでは、国内のプロ写真家やアマチュア写真家の写真を展示したり、見たりする機会が与えられています。そのため、簡潔に写真の歴史を記述したこの記事の中でも、現在行われている非常に広範な創作活動に言及しなければなりません。

 写真家として第一歩を踏み出したばかりの若者たちにとっては、写真技術とコンピューター技術の進化のおかげで、可能性は無限大です。三脚や現像所での作業といった、カメラの伝統に忠実であろうとする者がいるかと思えば、写真を他のメディアとの組み合わせ可能な情報伝達手段と考える者もいます。例えば、ハビエル・オロスコの作品の中では、組み立てられた要素による内部世界をはっきりと認めることができます。また、マルティレネ・アルカンタラの作品では、建築上の輪郭やパーツ、日常的に接触する外部世界の、別の新しい見方を伝えています。彼ら全員が構成する写真の世界は非常に豊かで、現在では、メキシコの写真界の可能性を広げる新たな試みを無駄にすることなく、私たちの国の一部を担っています。注目に値する、非常に喜ばしいことは、当初はおそらく男性に限定されていたこの仕事に、ますます女性が増えていることです。また、要求された事柄に十分に応えつつ、この時代の表現や美を満足させることに一層重点を置いた写真が目立ちます。そして私たちは、この時代を見て、生きて、カメラの鋭い目で記録する幸運に恵まれたということです。

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