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移民についての意見

セバスティアン・エンダーラ
ALAI, America Latina en Movimiento 2012/10/02

 移民は、単に、一つの国から他の国への、経済的社会的理由による人々の移動を意味するだけではない。移民とは、それが生じる原因となる、すべての状況を含むものだ。その意味で、移民は必然的に、その現象を背景につなぎ合わせる歴史的視点から、解釈されるべきである。

 従って、移民は、世界中至るところで、経済貿易関係とその複雑さを全体化している、グローバル化の動きの中に含まれる。

 これらの関係は、資本主義的生産関係、つまり、労働のグローバルな構造を決定する関係に他ならない。アビ・チョムスキーの言うように、20世紀の100年間には、労働に関する非常に重要な、いくつかの変化があった。中南米諸国では、労働者階級は中間層となった。それは、政治参加が可能となったこと、賃金が上昇したこと、教育と健康的な生活ができるようになったことによる、つまり、消費財と社会的資産によるものである。

 しかし、工場が閉鎖したり、周辺の国々へ移転したりしたため、工場での雇用がなくなったことが、この生活様式の平衡を崩しつつある。そして、中間層の人々は、以前は可能であった様々な活動をやめ、より長い時間、働かざるを得なくなっている。彼らは非常に低賃金の仕事の契約を結ぶが、そういった仕事も、移民たちに取って代わられている。そうした移民たちの大部分は、不規則な状態に直面している。

 移民「輸出」国側からすると、この問題は、世界的な資本主義構造特有の、貧困化と疎外の過程によって説明される。というのは、資本主義構造は、植民地主義的な構造化の中で、周辺国を作り上げたからだ。この構造化は、資本の幻想を、個々のイメージの中にだけでなく、共通のイメージの中にも吹き込んだ。それは、帝国の視線の下で発展を考えるというイメージだった。しかし帝国は、その内部の矛盾を解決できず、一歩ごとに、そのイデオロギー上の基本理念を取り消している。

 大部分のケースにおいて、移民たちは、人権を保護されておらず、「労働者」が獲得してきた社会的成果もなしに、働いている。しかし、「合法的」な市民のある特定の層のライフスタイルは保証されており、そのライフスタイルのために、多くの移民たちは、生活水準を維持するための努力をせざるを得なくなっている。

 移民の違法化は、矛盾した二つの結果を招く、倒錯した経済政策を生み出す。つまり、一方では、不可欠な仕事の労働条件を不安定化し、他方では、権利を要求する批判的な意見が生じることを妨げる。そして、これらすべてが、制度化された秩序の利益を守るという主張の下に、組み合わされている。

 形式上の問題もある。つまり、新自由主義的グローバリゼーションのあり方の中では、国境というものは、世界中のあらゆる地域の商品が、自由に流通することを受け入れるために、開放される。しかし同時に、生産関係の構造を変えてしまうおそれのある人々が、自由に入ってくることは、規制するという問題だ。しかし、根底にある問題は、人間の発展のために最も重要なものは、金と力だと決めつける経済モデルの存在を許す、新自由主義体制の基本原理にある。

 資本主義制度における人間の搾取は、現に存在している。それは神話などではなく、利潤追求の論理の中に表されている。この論理は、一連の反価値を生み出し、反価値は、人々の価値や尊厳に基づいて築かれた集団的な組織を、少しずつ壊していくものである。

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