e-MEXICO

ホーム > 歴史・古代文明 > メキシコ独立までの4つの期間

メキシコ独立までの4つの期間

foto
写真:メキシコ人画家フアン・オゴルマンによるメキシコ独立の壁画の一部

Mexico Desconocido

 メキシコ史の中で、独立戦争と定義されている期間は、厳密に言えば、1810年9月16日、反徒ミゲル・イダルゴが有名な「ドローレスの叫び」をあげたときに始まり、1821年9月21日、「三つの保証軍」がメキシコ市に入ったときに終わります。独立運動の背後にあった理念は、スペイン政府からメキシコを解放し、スペインの副王領であることをやめることでした。この独立運動の期間が、メキシコのいわゆる植民地時代に終止符を打つことになります。

 当然、1810年以前にも、すでに新たな自由主義的な欲求が高まり、独立運動の重要な前例が、いくつかありました。それは主に、クリオージョと呼ばれるメキシコ生まれのスペイン人たちの間に起こったものでした。一説によると、独立戦争が勃発する前の、独立運動の思想的指導者は、メルチョール・デ・タラマンテス修道士でした。タラマンテス修道士は、反体制的な著作を発表し、その中で、メキシコの大地は、「住民を養い、維持し、幸福にするために必要な、資源と能力のすべて」を持っている、と述べました。そのため、独立することが可能であり、また、可能なだけでなく、それが望ましいことであるとし、その理由として、スペイン政府は、植民地メキシコの全般的な利益に尽力してこなかったが、メキシコ人による自由な政府であれば、役目を果たすはずだからだ、と述べています。

独立運動の4つの期間

 独立運動は、4つの期間に区切って、見ていくことができます。

メキシコ独立運動の第一期

 第一期は、「ドローレスの叫び」から、1811年のカルデロン橋の戦いまでとなります。この時期には、ミゲル・イダルゴ神父に率いられた群衆が、有名なグアダルーぺの軍旗と共に、戦略よりは、むしろ情熱をもって戦いました。ドローレスの司祭であったイダルゴ神父が、カルデロン橋の戦いに赴いたとき、反乱軍の勢力は10万人に達していました。彼らの中には、クリオージョ、先住民、メスティーソと呼ばれる白人と先住民の混血、またはいわゆる特権階級に属する人たちもいました。王党派の防衛は熱意に欠け、その軍隊は5万人以下であったとされています。

メキシコ独立運動の第二期

 この第二期では、ホセ・マリア・モレーロス・イ・パボンが舞台に登場します。この時期は、1811年初頭から、1813年8月に、反乱軍がアカプルコのサン・ディエゴ要塞を占拠するまでの期間とされています。この時期、独立の反徒たちは、様々な戦いで勝利を得ました。

メキシコ独立運動の第三期

 この時期の特徴は、秩序の混乱です。モレーロスの死によって、反乱軍の指揮系統に空白ができ、一方、王党派は、恐るべき副王カジェハの指揮下で立て直し、攻勢に転じるを得ます。この時期、反乱軍側の重要な最後の砦が打ち破られ、事実上、王党派が戦いに勝ちます。ビセンテ・ゲレロが指揮した一軍など、ごく一部のグループのみが、休むことなく戦い続けます。この時期は、1821年2月、イグアラ綱領が調印されたところで終わります。

メキシコ独立運動の第四期

 第四期は、1821年2月24日から、同年9月27日までの期間で、アグスティン・デ・イトゥルビデ指揮下の「三つの保証軍」が勝利して、メキシコ市に入城して終わります。「三つの保証軍」は、主として、王党派軍が丸ごと、反乱軍に転向した軍隊で、この最後の反徒たち全員が、メキシコ軍を形成し、独立運動を終結させました。

↑ PAGE TOP

inserted by FC2 system