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メキシコにも米国にも「存在していない」人々

多数のメキシコ人が、メキシコの出生証明書なしで米国へ不法移民し、結果として二重の意味で「身分証明書のない人」となっている。写真は、37歳で初めて出生証明書を手に入れたエステルさん。

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写真:出生証明書の手続き。不法移民のエステル・バウティスタさんが出生証明書を受け取れるよう、ニューヨークにあるメキシコ領事館の職員が対応(Bebeto Mathews/APAL)

クラウディア・トレンス
El Universal 2012/07/13

ラウラ・ロシオ・オルドーニェスさんは、メキシコに生まれ、米国に住んでいる。しかし、公式には、彼女はどちらの国にも存在していない。銀行口座を開設することができず、法的に結婚することも、勉強することもできない。両国の政府にとって、彼女は見えない存在だ。つまりこの40歳の女性は、米国に不法滞在しているだけでなく、メキシコの身分証明書類も持っていない。そのため、米国に不法入国して住んでいる外国人で、出身国の身分証明書類を持っている人たちより、彼女は不利な状況にある。

チェース銀行、シティバンク、ポピュラー銀行などは、不法移民が当座預金や普通預金の口座を開設できるよう、領事館登録証やパスポートでの手続きを受け付けている。ニューヨークの公立学校でも、不法移民である親が校内に入り、子供の担任教師との集まりに参加できるように、前出の書類を受け付けている。

出身国の正式な身分証明書類のある移民は、個人用納税番号(ITIN)を受け取ることができる。これにより、米国で税金を払うことができ、ローンや担保を利用することができるようになる。

オルドーニェスさんのような人々は、これらの融資に手が届かないばかりか、米国から、メキシコ健康人民保険の加入申請をしたり、在外メキシコ人庁に高等教育のための奨学金を申請したりすることもできない。差別された存在でいることを余儀なくされている。

小柄で大きな黒い目をしたオルドーニェスさんは、「無力感やフラストレーションを感じています」と言う。「正式な書類のないことで、大変な思いをしてきました。ここコミュニティーセンターでは、英語を勉強することができます。でも一般教育卒業証書(GED、中学校の卒業証書に相当)の免状をとることさえできません。」 オルドーニェスさんは、ブルックリンの食料品店で働いている。

彼女は、出生時に両親が出生登録をしたか知らず、メキシコに住んでいたころは、それを調べてみようとも思わなかった。メキシコの複数の公的機関は、出生登録されていないメキシコ人の人数については、統計がないと言っている。しかし、アイデンティティーの権利に関するNGO団体ビー・ファンデーション会長で、この問題を研究するオスカル・オルティス・レジェス氏は、世界銀行のデータによると、2008年では、メキシコの人口の14%(約1400万人)が出生登録されていない、と述べた。

オアハカ、ゲレーロ、チアパス、ベラクルス、イダルゴ、プエブラなどの遠隔地の貧しい集落では、市民登録事務所まで、しばしば長い距離を移動しなければならず、出生登録をしないことは極めて一般的だ。オルドーニェスさんの出身地オアハカの市民登録事務所は、オアハカで生まれた人の23%は、出生登録されなかった、と見積もっている。

米国におけるこの手の移民の数は、はっきりしない。というのは、彼らが隠れて密入国しようとすることからしても、見つけることが難しいからだ。ニューヨークのメキシコ領事館のカルロス・サダ領事は、ニューヨーク州、ニュージャージー州、コネチカット州だけでも「数百人」、他の州でも「かなりの数」のメキシコ人が、出生登録していないか、出生証明書に間違いがある可能性がある、と考えている。

このような移民の数は、正確にはわからなくても、非常に多数であるため、オアハカの市民登録事務所の職員数人が最近ニューヨークに一週間滞在し、出生登録されていなかったメキシコ人数十人に身分証明書類を発行した。

オアハカの職員たちは、移民たちを援助するため、ロサンゼルスも訪問した。プエブラ、ゲレーロの市民登録事務所の職員も、間もなくニューヨークを訪問する予定だ。

二重に弱者

出身国の身分証明書類を持たないこれらの人々の生活は、米国で生活するために国境を超えた場合、より厳しくなると、オアハカ市民登録事務所のアイデ・レジェス・ソト所長は述べた。「言うまでもなく、移民先での生活は、さらにひどいものです。それが現実です。(メキシコでの出生登録がないことと、米国への不法移民であることで)二重に弱者なのです」

これらの不法移民が逮捕され、米国の警察が、どこへ強制送還すればいいかわからない、という事態も起こっている。また、米国で彼らに子供が生まれた場合、親がメキシコの出生証明書を持っていないため、子供にメキシコ国籍を与えることができない。これが、家族が離れ離れになる原因となる場合もある。ソト氏は出生証明書について、「すべての基本となるこの書類なしで、一体どこまでやっていけるか、考えて見てください」とコメントした。

エステル・バウティスタさんは、メキシコにいた10歳の時に学校をやめざるを得ず、読み書きに苦労する。現在37歳の彼女は、米国で勉強を続けていくためには、少なくとも出生証明書が必要だった、と語った。

「小学校へは2年生まで行っただけです。(もし出生登録されていたら)私の人生はもっと良かったと思います。色々な点で、見捨てられていると感じてきました。」バウティスタさんはオアハカ州シマトラン・デ・ラサロ・カルデナスの村に生まれたが、生後2カ月の時に父親が殺害された。母親のフアナ・クルスさんはお金もなく、一人取り残された。そのため、市民登録事務所がある別の村まで行くことは、非常に難しかった。

法的に結婚できない

バウティスタさんは、パートナーのハイメ・ガルシアさんとの間に、ニュージャージー州で生まれた12歳の息子がいるが、まだ法的に結婚できていない。しかし先週、オアハカ州の職員たちが米国を訪れたため、米国に住むこと13年にして、ようやく出生証明書を手に入れた。職員たちが出生証明書を手渡し、彼女はそれを、かすかな笑みを浮かべて誇らしげに受け取った。パートナーのガルシアさんは、「もう一度生まれるようなものです。彼女はずっと、身分証明書が必要でした。最初にすることは、法的に結婚することです」

ミステカ語を話す先住民の集落では、身分証明書を持っていないということは、よくあることだ。そういう集落では、スペイン語を話さないことが、役所で手続きを行うことを困難にしている。

ウルフラーノ・ゴンサーレスさんは、オアハカ州のサン・マルコ・ナティビダー村で生まれたメキシコ人だが、両親は彼の出生登録をしなかった。17歳のとき、ミステカ語しか話せないまま、米国へ不法入国した。「両親は、出生登録ではなく、食べていくことの方に腐心していました。」現在32歳、建設作業員として働き、スペイン語はニューヨークに来てから覚えた。

「私は身分を証明するものを持っていません。とても苦しいことです。米国生まれの子供が3人いますが、メキシコ国籍を与えてあげることができません。」と、非常に気がかりな様子でゴンサーレスさんは言った。法的に結婚できていないことや、銀行口座を持つことができないだけでなく、身分証明書の提示を求められたときは、常に不自由してきた。ゴンサーレスさんが持っているのは、メキシコで取得した住民証明書という書類だけで、そこには彼の写真と名前が出ているが、それは米国では何の役にも立たなかった。

メキシコには、地方自治体発行の様々な種類の証明書があり、他の身分証明書がないメキシコ人は、しばしばそれを使う。移民支援組織「ラ・ウニオン」のレティシア・アラニス代表によると、米国のいくつかの州では、不法移民を取り締まる厳しい法律が適用されるようになり、また、警察は、どの逮捕者を強制送還できるか識別するために、「安全なコミュニティー」というプランを通して、連邦政府と協力を開始したため、問題はより深刻になった。

「あらゆる場面で身分証明書が必要です。もし警官に出会って呼び止められたら、身分証明書の提示を求められます」とアラニス氏は言った。「これは、多くの困難な結果を招く問題です。そして今は、『安全なコミュニティー』プランのせいで、なおさらです。私たちすべてが、身分を証明する何かを持つべきでしょう」

ニューヨークのスタテンアイランドにある「NY、道を作ろう」や「移民センター」のような移民擁護団体は、独自の加入員証を発行していて、それが、メキシコの身分証明書のないメキシコ人の助けとなる場合がある。「加入希望者には、自分あてに手紙を送り、手紙が到着したらそれを持参してもらうようにお願いしています。こうして住所を確認するのです。」と、ゴンサーレス・メルカド移民センター長は言った。

メキシコ政府は昨年、オアハカ州の出生登録の問題に対処するため、「オアハカ、みんなが身分証明書を持つ権利のために」と題したプランを実行した。歌手のリッキー・マーティンは、この問題のために活動している。キャンペーン「大好き、アメリカ」を通して、出生登録を奨励するために取り組み、ビデオの中で、「全員が出生登録されるようにしよう」と言っている。

ニューヨークで手続きをして出生証明書を手に入れた移民のバウティスタさんは、最近、待ち望んだ書類が手に入ることを知らせるために、母親に電話した、と語った。「母は、とても誇らしく感じたようでした。出生登録をしなかったことで、私に対して悪いことをしたと、いつも思っていましたから」

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