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メキシコ革命のヒーロー、パンチョ・ビージャ

パンチョ・ビージャは、メキシコ革命の登場人物の中でも特に重要で、とりわけ論争の的となってきた人物です。彼の個性からインスピレーションを得て、小説、演劇作品、映画、数えきれないほどの歌が作られました。

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 1913年、ビクトリアーノ・ウエルタがフランシスコ・マデロを殺害して大統領になると、パンチョ・ビージャは、ウエルタを倒すため、ベヌスティアーノ・カランサの仲間に加わりました。ビージャは大胆かつ勇敢だったので、チワワ、コアウイラ、ドゥランゴの部隊の隊長たちから、北部師団の司令官に任命されました。この有名な北部師団は、ウエルタ政権を倒すために首都に到着するまでの間、メキシコの北部から中央へ向かって快進撃を続けました。

 国が平和になると、まもなく、北のケンタウロス(ビージャのこと)と、カランサ率いるソノーラ州の強力なグループとの間に、様々な対立が起こりました。そこで、ビージャは、カランサの護憲主義政府を否認して、再び武装蜂起しました。

 ビージャは、米国を味方につけようとしましたが、それがかなわないとわかると、国境に近いコロンバスに侵攻し、横暴な行為や行き過ぎた行為を繰り返しました。そのため、米国の軍隊に追われる身となりましたが、決して捕まることはありませんでした。

 カランサの死後、ビージャは、アドルフォ・デ・ラ・ウエルタ大統領から恩赦を与えられて、ドゥランゴのカヌティージョ農園におとなしく引退しました。この農園は、革命に貢献した報奨として、政府がビージャに与えたものでした。

 英雄だとも悪党だとも評された、民衆の司令官パンチョ・ビージャは、1923年7月20日、部下のひとりと共に、車でチワワ州のパラルに向かう途中、何者かに待ち伏せされ、殺害されました。待ち伏せしていたのは、ビージャの危険の多い人生の中でできた敵対者のひとりでした。

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