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メキシコ外交政策の課題

ダニエル・マルティネス・クニル
Rebelion 2012/09/04

 エンリケ・ペニャ・ニエトが正式にメキシコ大統領として承認されれば、2013年1月26、27日に、チリのサンティアゴで、各国代表の前にデビューすることになる。その日、サンティアゴで、中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)および欧州連合(EU)諸国合同の第一回サミットが開催されるからだ。

 当選候補(ペニャ・ニエト)の政権移行チームの間では、外交政策と国際関係に関して彼らを待ち受ける仕事は、困難をきわめる、という認識がある。フェリーペ・カルデロンが残す置き土産は、悪い状態にあり、また、非常に複雑だ。多くの国との間で、関係が悪化しており、多数の外交官が、外交政策におけるメキシコの方向転換を期待している。

 もしメキシコが、外交政策の活性化を成功させることを望むなら、南北(北米、中南米、カリブ海)の中心に位置するという、地理上の蝶番の役割における、新しい提案を描いてみせるべきであり、また、ヨーロッパとアジアにおいて、新しい考え方で競争することを模索するべきである。

北の隣国

 メキシコの、米国との関係の中心は、貿易関係、移民、治安問題である。米国の評論家たちに用いられる有益な論点によれば、両国は利益を得るのも失うのも、一緒である。従って、国境が十分に機能することが求められる。2011年、メキシコ、米国間の貿易が、はじめて年間5000億ドルに達した。この数字は、評論家の理論を裏付けているようである。

 この楽観主義の逆を行くのが、米国への止むことのない麻薬の流出であり、また、米国からの武器の闇取引による流入である。これらは、これまでのところ、まだ回答を見出せていない同一の方程式の一部であり、両国政権間の主要な摩擦の元となっている。武器の違法取引による資金移動は、全世界で年間700億ドルに達している。従って、この犯罪において、資金洗浄が最も重要な役割を果たしていることは、明らかである。

 ラテンアメリカの武器の主要な供給者は、米国である。メキシコのフェリーペ・カルデロン大統領は、メキシコの犯罪組織から押収した10万丁の武器は、米国の合法の銃砲店で購入されたものであることを発表した。問題は、米国の憲法修正第二条が、国民の武器の所有および携帯の権利は侵害されない、と定めていることにある。従って、メキシコの各州では、治安を維持するために、十分に訓練された、武装した市民が必要となる。闇市場は、この安全に対する妄想と寛容さの混合したものを利用して、米国で武器を購入し、麻薬組織が利用するのと同じルートで、メキシコへ流入させるのである。

 現在までのところ、こうした状況の中で、米国の承認とめざましい支援を取り付けたのは、アルトゥーロ・サルカン在米メキシコ大使である。サルカン大使は、外交上の行き違いを上手に回避することに成功した。その行き違いの大部分は、暴力と移民に関するものであった。パトリシア・エスピノサ外務大臣の場合は、事は同じようには運ばなかった。エスピノサ大臣は、その役割があいまいで、外交政策における意思疎通が十分でなく、その力量もなかった。従って、課題は残されたままである。

 最近の事件では、メキシコ連邦警察の警察官が、米国の外交官ナンバーの車に銃弾の雨を浴びせ、破壊するという、混乱した騒動が起きた。この銃弾で、米国人大使館員2人が負傷した。これは、米国との外交関係を強化する上での、新たな試練である。

失われた「メキシコ=フランスの年」

 言うまでもなく、メキシコにとって、米国とのつながりは、その隣人かつ従属国として、引き続き最も重要である。しかし、例えば、フランスの現政権が、フランスとメキシコの悪化した関係を大きく前進させるため、メキシコの新大統領を待ち望んでいる、ということも指摘したい。

 2011年、「フランス=メキシコの年」と名付けられていたその年への準備は、すべて整っていた。しかし、フランス人のフローレンス・カシーズの事件以降、両国の大統領による、間の抜けた失策外交が重なったことが原因となって、パン戦争の、悲劇的で喜劇的な焼き直しが生じることになった。

 フランスの抗議は、カシーズの訴訟手続きの間に、権利の侵害があり、それが、推定無罪と適切な弁護に悪影響を及ぼしたことによるもので、それは、正当な抗議であった。しかし、その抗議が、傲慢で植民地主義的な言葉遣いと方法で行われたため、友好的に理解し合うことが不可能となった。

 現在、メキシコとフランスの関係は、はっきりせず、今後の行方を待たなければならない。双方の利益のため、また、メキシコにとっては、フランスとの関係改善が、ヨーロッパへの扉を開くよう、2013年には、両国関係が活性化することが、期待されている。

PRI回帰後の、「食べたら帰る」キューバとの関係

 メキシコとキューバの関係は、共に民衆の革命から生まれた国家であるというアイデンティティーよりも、もっと深い所で、常に互いの必要性の上に発展してきた。両国にとって、内政への批判を和らげる国際的なイメージが必要であった。それ故、メキシコは、キューバを後ろ盾することによって、左派的で進歩主義的なイメージを獲得し、フィデル・カストロとその社会主義政策は、メキシコのPRI政権を通して、ラテンアメリカへの窓口を持つことができていた。それ以外にも、両国関係の一部を成すものとして、明らかに、米国に対する共通の立場があった。

 PANが政権について以来、この12年の間、この公式は壊され、軽んじられてきた。それを表しているのが、メキシコのフォックス前大統領からフィデル・カストロへの、あの恥ずべきフレーズ、「食べたら帰ってくれ」である。

 両国関係が疎遠になって12年が経過し、制度的革命党(PRI)が政権に返り咲くことになった。これは、少なくとも、フォックスとカルデロンの極端な外交姿勢からの変更を告げるものである。

 同様に、ペニャ・ニエト政権下で、どれほど国際的な視点が変化しようとも、PRIの政策の中にあるものは、キューバとの関係を元の歴史的な水準まで戻すことについての関心と、米国の隣国であるという共通の条件が、大きな話し合いの可能性を開くことについての関心である。

外務大臣の呼び声

1. ホルヘ・モンターニョ・マルティネスは、米国、カナダとの北米自由貿易協定(スペイン語の頭字語TLCAN、英語はNAFTA)発効時の在米メキシコ大使。モンターニョは、メキシコ外交政策の弱点と課題について、様々な記事を書いた。著書の中では、「ワシントンの作戦1993-1995年 ―北米自由貿易協定の承認から救済融資へ」が特に重要である。

2. フアン・ホセ・ブレメルは元在米メキシコ大使で、ビセンテ・フォックス政権初期に、PANが描いた外交政策を始める任にあたった。しかしそれも、ホルヘ・カスタニェーダの横槍が入るまでのことであった。「冷戦の終結と野蛮な新世界」という本を出版し、冷戦後の国際秩序における課題を分析した。

3. エミリオ・ロソジャ・アウスティンは、カルロス・サリーナス・デ・ゴルタリ元大統領の側近を父に持つ。メキシコ自治工科大学で経済を学んだ後、ハーバード大学大学院で経済開発を学んだ。ロソジャは、ペニャ・ニエトの大統領選挙戦で、PRIの国際関係政策の責任者として働いた。ロソジャは、ホルヘ・モンターニョと共に、「メキシコの将来像」 (2012年 フォーリン・アフェアーズ・ラテンアメリカ Vol.12 No.2) という記事を書き、外交政策におけるペニャ・ニエトの提案を、明確に描いて見せた。

4. アルヌルフォ・バルディビア・マチュカは、モンテレイ工科大学卒業後、ケンブリッジ大学で経済政策の博士号を取得した。ペニャ・ニエトの選挙戦の間は、在外メキシコ人の集票を引き受けた。また、ペニャ・ニエトのメキシコ州知事時代には、国際関係問題の責任者の役目を果たした。

5. ハビエル・トレビーニョ・カントゥーは、ヌエボ・レオンでのペニャ・ニエトの選挙戦を取りまとめた。元外務副大臣。選挙戦では、「エンリケ・ペニャ・ニエト大統領が進めようとしている外交政策の新たな視点」において、「ヨーロッパとラテンアメリカが、メキシコにとって重要な2つの地域である」ことを強調した。また同時に、この視点が、北米とアジアへ向けての外交政策を明確に描き出していく上でも、根拠となるものであるとし、「北米は、とりわけ米国との二国間関係が際立って重要であり、アジアは、中国との関係が、米国同様、特に重要である」と述べた。

 他にも名前が挙がっている人物は、例えば、ペドロ・アスペ・アルメージャで、カルロス・サリーナス時代のメキシコの対外債務交渉の責任者であった。また、ベアトリス・パレデス・ランヘルは、ロサリオ・グリーン、パトリシア・エスピノサに次いで、メキシコ外交の指揮をとる三人目の女性となることを望んでいる。ペニャ・ニエト政権のジェンダーの配分を考えて、または、敗北に終わったメキシコ市長選挙出馬へのねぎらいの意味で、ベアトリス・パレデスの就任も十分あり得ることである。

 カルデロン現大統領が次期政権へ残す懸案事項は、外交政策だけではない。しかし疑いなく、外交政策は、ペニャ・ニエト政権の一員となる者を待つ、主要な課題の一つである。

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