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ソチカルコ遺跡

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foto: Rafael Doniz

Mexico Desconocido

 モレーロス州の南東に位置するソチカルコ遺跡は、メソアメリカの非常に重要な都市のひとつでした。

 ナワトル語で「花の家のある場所」を意味するソチカルコは、小高い丘の上にあります。ソチカルコの人々は、この丘の頂上や斜面を整地し、宗教用、住宅用、公共のための建築物や、防御のための壁、稜堡、堀などを作りました。

 都市国家ソチカルコの発展と繁栄は、古典期後期(650-900年)の、比較的短い期間のことでした。古典期後期は、それまで覇権を握っていた中心都市テオティウアカンが衰退したことにより、政治、経済、文化の新しい動きが起こった時期でした。テオティウアカンの衰退によって、社会は変動し、住民の移動が起こり、地域間で新たに連絡や交流が生まれました。メキシコ中央高地では、カカシュトラ、ソチテカトル、テオテナンゴなどの都市が発展しましたが、テオティウアカンのような強大な都市になることはありませんでした。古典期後期の都市は、この時代の特徴である急速な発展や、不安定な政治情勢、権力の交代、軍事優先主義のために、900年ごろまでに衰退しました。ソチカルコの繁栄が短期間であったこと、急激に破壊され、すぐに放棄されたことも、前述のようなことが原因でした。

 威容を誇るソチカルコ遺跡の、特に重要な建築物を紹介します。

二つの文字の石碑の広場

 二つの文字の石碑の広場は、ソチカルコで最も重要な、公共の宗教的な場所であったようです。広場の中心には、二つの文字が刻まれた石碑のある祭壇があり、その両脇には、東の建築物、西の建築物があります。突き当りには、ソチカルコ最大の建築物である「大ピラミッド」があります。

マリンチェ

 マリンチェの丘には、ソチカルコにある三つの球技場の中でも最大の、南の球技場があります。また、20個の丸い祭壇と1個の四角い祭壇があり、祭儀に用いる260日暦の計算に使われていました。身分の高い人々が住んだ「パラシオ」と呼ばれる住宅群もあります。

中央広場

 主に政治的、宗教的な目的で利用された中央広場には、非常に重要な建築物があり、広場へのアクセスは、厳しく制限されていました。「羽毛の生えた蛇の神殿」は、壁の4面にレリーフの装飾が施された、非常に美しい建築物で、重要な意味を持っていました。「石碑の神殿」は、ケツァルコアトルと関連のある三つの石碑が発見された建築物で、石碑は、現在は国立人類学博物館で展示されています。ソチカルコの王族の住居であった「アクロポリス」は、ソチカルコで最も高い場所に作られました。

東建築複合

 東建築複合には、東の球技場、動物が描かれた255個の敷石からなる坂道、多色装飾された祭壇のある中央建築物、テマスカル(蒸し風呂)の施設があります。また、雨水をためるための貯水槽があり、この貯水槽の雨水が、ソチカルコのすべての建物に給水されていました。

西建築複合

 西建築複合には、地下天文観測所があり、天体観測に利用されていました。

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