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農業かアグリビジネスか(1/2) 人類を救うのは誰か

多国籍企業や国家による農地の買占めは、エスカレートする一方で、農民の生活を脅かし、国家の主権を傷つけている。世界中の多くの地域で、食料は輸出されてしまい、地域の住民は、食料もなく、土地もなく、二重の意味で貧困化している。
教皇フランシスコ

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foto:Manuel Antonio Espinosa Sanchez

La Jornada del Campo 2015/08/15 No.95

 世界は、非常に大きな危機に直面している。その危機には、特に二つの重要な側面が含まれている。それは、自然環境の急激な悪化と、深刻な食料危機だ。私たちは、文明社会の岐路に立っていて、前には、ただ二つの道があるのみだ。ひとつは、外国企業が人民の土地を買占め、外国企業に土地の所有が集中する、かつての植民地時代さながらの道だ。もうひとつは、多様で持続可能な、節度ある自然利用を通じて、環境の悪化と食料の集中に歯止めをかける、小規模農業の道だ。前者は危機を増幅し、後者は危機の克服を可能にする。

 食料その他の問題がネックとなり、農村の破壊と植民地的な弾圧の上に成り立つ資本主義の近代性が、揺さぶられている。そこで、この問題に立ち向かうために、先祖代々受け継がれてきた小規模な農家による農業を活性化し、現状に適応させていくことが必要不可欠だ。小規模農業は、古くからある、しかし未来を見据えたあり方であり、2000年代の今日、すでに先住民や農民たち(支配され、搾取されてきた農村の人々)が、そのようなあり方を実践している。彼らは、自身のルーツや失われた過去を守るために行動しているだけでなく、理想に目覚め、未来の下絵を描き、前進しようとしている。

 8億人以上の人々を苦しめている飢餓の問題は、食料を生産かつ消費する人と単に消費するだけの人とを含む、すべての人々に関係することだ。従って、都市と農村を含めた総合的な視野に立った対策が求められている。しかし、何よりもまず必要なのは、共同体や地域、国、そして世界全体が、多国籍企業に奪われた食料主権を回復することだ。そのためには、単一作物栽培とその輸出による利益のみで動くアグリビジネスに、NOを突きつけなければならない。アグリビジネスの農業モデルは、技術面では略奪的で、社会的には不公平で、環境面では持続不可能であり、農薬などの有害物質の乱用により、自然と生産者と消費者を害している。飢餓を肥やしに太る投機的なビジネスとは、そのようなものだ。

 すべての人にかかわる食料生産ということについて、誰にとっても最良で将来性のある道は、中小規模の農業生産だ。中小規模の農業は、見捨てられ、消耗し、攻撃されてきたにもかかわらず、世界の人口の大部分を養ってきた。その生産物は、健康的なだけでなく、社会と文化の多様性のあかしであり、地域の特性を表している。

 しかし、農民から土地と水を略奪しつづければ、中小規模農業を活性化し、日々増加している世界人口全体に食料を供給することは、不可能になる。土地の略奪は、過去数十年で激化し、さらにここ数年は、土地の生命を維持してきた住民を根こそぎにしながら、世界中の土地を取り合う目まぐるしい競争が起こっている。このプロセスに歯止めをかけ、元の状態に戻し、奪われた土地を、先住民や農民、アフリカ系住民に返還することが、緊急の課題だ。また、この公正な行為の対象に、女性を含めることは、とりわけ重要だ。というのは、女性の一般的な権利や農村における権利は、現在まで依然として続いている家父長制度によって、無視されてきたからだ。

 このような新しい土地所有のあり方は、土地開発銀行を作ったり、わずかな農地を条件付きで授与することで達成できるものではなく、真の農業改革によって、達成されるものだ。小規模農家を排除して民間企業による農業を推進する政策によって、農村と土地の関係が崩壊して久しい。真の農業改革は、農村と土地のあり方を本来の状態に戻すことができるような、根本的な改革でなければならない。

 土地の返還は、飢餓問題に対処するために不可欠だ。というのは、農民に十分な土地がなければ、彼らが食料主権のために決然と行動することは望めないからだ。また、土地の返還は、特に人民の権利を守る意味でも、行われなければならない。この権利は、先祖代々農業に従事することで維持され、繰り返し認められてきた、歴史的な権利だからだ。

 農村の女性と男性による真に良い農業を守り、活性化していくためには、現在の土地の所有者を変更し、農村の生活様式を再評価しなければならない。しかし、それですべてが解決するわけではない。というのは、農業のための資金が不足していることや、農業からの収入では生活していけないこと、景気が良くないことなどから、農民が農地を放棄したり、売却したりしているからだ。

 従って、アグリビジネスを優遇し、農薬と遺伝子組み換え種子の使用を奨励して農民たちを従属させる現行の農業政策ではなく、インフラ整備、融資、販売計画、技術研究などの財とサービスを含めた、農家の実状と必要に合わせた農業政策を、政府が行う必要がある。また、農業政策とその実行は、政府が机上で作って押しつけるべきではなく、政府が、農村の活性化に本当に必要なものは何かを知っている生産者や生産者組織、共同体と話し合いを行い、その総意によって決定されるべきだ。

 世界を揺るがす環境危機は、全人類を巻き込む人為的な災害だ。農村は、この危機を食い止めるために、果敢に活動している。なぜなら、農村は、生態系と文化の深刻な破壊が起こっている場所であり、また同時に、それらの保護と回復のための活動が、最も活発に行われている場所でもあるからだ。この活動の主役は、農民だ。農民にとって、土地は単なる生産手段ではないし、ましてや商品でもない。彼らにとって、土地とは、社会と自然が調和して成り立っている、本質的なものなのだ。農民たちは、私たちの食料を生産すると同時に、地球の生命を保護している。従って、農業部門だけでなく、環境保護部門からの支援も受ける権利がある。また、都市住民による理解と支援、共同責任が求められると共に、政府による現状の認識と経済的支援が必要だ。母なる自然は、お金では買えない。しかし、人間が壊してしまった生態系を回復するためには、お金がかかるということを、ひとりひとりが認識し、負担していかなければならない。

 この問題についての決定に、全員参加の民主主義が欠如すれば、道は閉ざされる。農村は、今すぐ民主主義を必要としている。しかし、これについても、先住民や農民、アフリカ系住民は、私たちに道を示している。それは、民主主義の方法はひとつではなく、たくさんあるということ、そして、政府がこの問題を放置するなら、農民は全員の総意に基づく民主主義を選択するだろうということだ。その民主主義は、草の根からの民主主義であり、国・州・地方政府を正当たらしめる唯一の民主主義である共同体の民主主義である。

 この深刻な危機は、近代性の根本的な理念(経済成長率で表される進歩と発展がすべてであり、そのためにはいかなる犠牲をも払う)が揺らぐ今、単に環境と食料だけの問題ではなく、市民社会の問題でもある。そして、このことについても、先住民や農民が、私たちに道を示している。ひとつは、「真に豊かに生きる」という、メソアメリカ、アンデス、アマゾン地域の人々特有の考え方であり、もうひとつは、世界の全農民の昔からの願望である、経済的な豊かさの観念だ。このような観念、ものの見方、価値体系は、危機と不確かさの時代において、間違いなく、私たちに何かを教えている。

 私たちは、現在、誰も避けて通ることのできない、時代の分岐点にいる。階級差別や家父長制、植民地主義は、自然を破壊するだけでなく、人間をも搾取し、被植民者を服従させ、女性を抑圧し、若者から未来を奪って排斥する。このようなことは、もう終わりにするべきだ。明るい未来は、先住民や農民が目指す道の先にある。彼らの声を聞こう。

(ボリビアのラパスで2013年10月21日から28日まで開催された、世界オルタナティブ・フォーラムの農村の発展に関する会議で採択された「ラテンアメリカの人民と政府への呼びかけ」から抜粋)

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