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エストラーダ監督の新作映画「完璧なる独裁」

数えきれないほどの困難を乗り越え、ルイス・エストラーダ監督の新作「完璧なる独裁」が、メキシコ国内1200カ所の映画館で、16日(木)から公開される。エストラーダ監督は、意見の相違で融資を取り下げたテレビサの反応や、制度的革命党(PRI)の政治家たちの反応を気にしながらも、楽観的に構え、「おもしろいのはこれからだ」と語った。監督は、「この映画を見た後、人々は今までと同じ視点でニュース番組を見るだろうか?」という疑問を投げかけた。そして、「おそらく、政治家を最も心配させていることは、メディアを用いる彼らの定番の手法が、この映画の中で明かされることで、もう使えなくなってしまうことだろう」と推測した。

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写真:ルイス・エストラーダ監督の新作映画「完璧なる独裁」の一場面

ヘナロ・ビジャミル
Proceso 2014/10/15

 カルメロ・バルガス知事は激怒している。視聴率の高いニュース番組で、バルガス知事のビデオ・スキャンダル映像が流されたところだった。メキシコ・テレビのその映像の中で、バルガス知事は、ある麻薬マフィアから金を受け取っていた。

 そのようなビデオは、国民の関心をそらすための戦略として、入れ子の箱のように次々と現れる。バルガス知事のビデオも、メキシコ大統領の失策のひとつがソーシャル・ネットワーク上で笑いものになっているさなかに放送された。

 エストラーダ監督の風刺的な新作「完璧なる独裁」に登場する「バルガス知事」は、非常にメキシコ的な人物だ。モデルにしたのは、マリオ・マリン元プエブラ州知事、ウリセス・ルイス元オアハカ州知事、ラファエル・モレーノ・バジェ、ハビエル・ドゥアルテ、マヌエル・ベラスコ、アンヘル・アギーレ、ミゲランヘル・マンセラなどの政治家たちで、みな実在の人物だ。

 テレビで汚職ビデオを暴露されたバルガス知事は、「話をつける」ために、金をいっぱいに詰めたスーツケースを持って、メキシコ・テレビを訪れることにする。

 脚本家のハイメ・サンピエトロ氏とエストラーダ監督が共同で書いた脚本中には、バルガス知事とテレビ局ディレクターの次のような会話がある。

「政治家のお客様方 ―あなたもそのひとりになろうとしているわけですが― のために、私たちは、コンサルタントとポジショニングの様々なセット・プランをご用意しています。あなたの抱えている問題からすると、プレミアム・プランからはじめるのがおすすめです」と、テレビ局幹部役の俳優が言う。この俳優は、テレビサのベルナルド・ゴメス副社長のそっくりさんだ。

「その何とかプランとかいうのは、一体何ですか?」と、バルガス知事が聞く。

「細かいことまで言うと混乱なさるでしょうから、大まかに言いましょう。つまり、あなたは、あなたの州の割り当て金3%と、報道にかかる経費の50%をメキシコ・テレビに払う。メキシコ・テレビは、あなたのメディア戦略やイメージ作りについて助言し、プライムタイムにあなたのスポット広告を入れ、さらに、これが一番重要なことですが、あなたが、今あなたの身に起こっているような政治的危機に立たされたときには、それをうまく収拾します」

 この映画の元々のタイトルは「疑わしき真実」といい、2011年12月14日に第1548988号として登録されていた。この映画は、当初、テレビサ系列の映画会社ビデオシネから多額の融資を取り付けていた。

 エストラーダ監督は、16日(木)の封切りの前週にプロセソが行ったインタビューで、当初のタイトル「疑わしき真実」は、「完璧なる独裁」というタイトルに変更されたが、脚本自体は変わっていないと述べた。

 過去数年で最も騒がれた政治とメディアのスキャンダル(メキシコ州少女ポーレット殺害事件、フローレンス・カシーズのやらせ問題、レネ・ベハラーノの汚職ビデオ・スキャンダル、最近の麻薬組織のボスや州知事の逮捕劇など)のパロディー・シーンでは、作品中の渦中の人物は、メディアのおかげで「ヒーロー」に変貌する。

 すべては、すでに「ある大統領を当選させた」ことさえある強大なテレビ局の魔法のプレミアム・プランのおかげだ。このプランを、厄介事に巻き込まれたバルガス知事も契約した。

 ビデオシネは、この映画の脚本をすでに読んでいたにもかかわらず、予定していた2000万ペソ(約1億5800万円)の融資を撤回することに決めた。エストラーダ監督は動じることなく、「完璧なる独裁」を完成するために、別の融資を見つけた。そして、映画は完成した。「完璧なる独裁」は、メキシコ全国1200の映画館で間もなく封切りされる。内務省さえ、この映画によい評価をつけた。

 しかし、エストラーダ監督には心配事もある。この映画が風刺的であるため、監督の以前の作品と同様、今回もまた、検閲や圧力をかけられることを恐れているのだ。例えば、1999年(PRIは翌年2000年の大統領選挙で大敗した)に公開され、PRI政治のやり方をしんらつに描き出した「ラ・レイ・デ・エロデス(ヘロデの掟)」や、メキシコ独立200周年に沸く2010年に公開され、フェリーペ・カルデロン前大統領の麻薬戦争を皮肉った「エル・インフィエルノ(地獄)」の公開にあたって、検閲や上映阻止の動きがあった。

 今回の「完璧なる独裁」は、以前の作品と異なり、政治家たちだけでなく、政治家と結託しているテレビ局をも不快にさせる。テレビ局は、定番の手法を用いて、一政治家だったエンリケ・ペニャ・ニエトを、一挙にメキシコ大統領に押し上げた。それと引き替えに、巨額の契約が結ばれたが、その詳細が画面に出ることはない。

明かされた手法

 ルイス・エストラーダ監督は、「おもしろいのはこれからだ」と考えている。監督にとって重要なのは、「この映画を見た後、人々は以前と同じ視点でニュース番組を見るだろうか?」ということだ。

監督:おそらく、政治家やテレビ局は、それを最も心配しているでしょう。もう、定番の手法が使えなくなってしまうからです。

記者:その手法は、映画の中で具体的に明かされていますか?

監督:はい、しかも、はっきりと。それに、非常にわかりやすいのです。政治家とテレビ局は、同じ手法を繰り返し使っていますから。

記者:政治家やテレビ局から、報復を受けそうな気配はありますか?

監督:ちまたでは、私が当局やテレビ局をだましたといううわさが流れているようです。パロディー映画を作ると言っておきながら、出来上がったのはドキュメンタリー映画だった、といううわさです。実際には、脚本を読めば、最初からはっきりしていたはずです。

記者:多くの若者や国民が、テレビサなどのテレビ局のやり方にすでに気づいていて、もう信じなくなっているのに、「完璧なる独裁」は、なぜ当局やテレビ局を不快にするのだと思いますか?

監督:テレビ局のやり方に対する批判が、映画によって広く再燃してしまうからだと思います。例えば、ある人がテレビサのやり方を非難していて、それをツイッターに書き込んだとしても、仲間内で読まれるだけですし、その書き込みの影響は、長くとも10分しか続きません。市民運動はどうかと言えば、例えば「私は132番目」運動のリーダーのひとりだったアントニオ・アトリーニは、今ではなんと、テレビサのコメンテーターになっています。アトリーニは、最も目立っていた中心的なリーダーのひとりだったので、非常に残念です。一方、映画は、目で見ることのできる物語です。依然として、幅広い人気のある娯楽でもあります。映画は、俳優たちの演技で輝きます。それは、非常に魅力的な視覚的言語なのです。

記者:では、テレビ局の情報操作能力と比べても、映画は依然として強力なメディアだと言えると思いますか?

監督:映画の場合、良い映画は芸術です。しかし、イデオロギーを伝えようとすれば、攻撃的になってしまいます。テレビは、大多数の家庭にすでにある家電製品ですが、映画には、まだそこまでの力はありません。メキシコでは、批判的視点を持つメディアの意見は、ひとりでに広がっていくものですが、しかし、テレビは、1億2000万人のメキシコ国民の大多数が見ているものです。多くの人が、今でもテレビ・ドラマの最終回を楽しみにしているのです。

記者:では、「完璧なる独裁」のような映画は、なぜ危険だと見なされるのですか?

監督:なぜなら、この映画は人々の目を覚まさせるものだし、映像は、テレビでよく見るような映像の連続だからです。

記者:はっきりと実名を出すドキュメンタリーではなく、風刺というジャンルを選んだのはなぜですか?

監督:風刺なら、深刻になり過ぎないからです。「うんざり感」が漂っている社会では、風刺というジャンルは、汚職に対する小さな復讐になります。前作や前々作を撮影したとき、メキシコは行くところまで行ったと思っていました。ハイメ・サンピエトロと私が「ラ・レイ・デ・エロデス」を作ったとき、銀行預金保護基金(FOBAPROA)による銀行再建時代の政治家たちの、度を越した図々しさや汚職を見て、メキシコは、もう行くところまで行ったと思っていたのです。ハイメも私も、なんてお人よしだったんだ! 「完璧なる独裁」は、ハイメと私が2011年に書きました。その頃、ペニャ・ニエトは、まだPRIの正式な大統領候補にさえなっていませんでしたが、大統領になることは、すでにわかりきっていました。今回の脚本は、ペニャ・ニエトのサクセス・ストーリーで締めくくることはできませんでした。というのは、ペニャ・ニエトで成功したため、同じ手法を用いる州知事たちが次から次へと現れ、後を絶たなかったからです。

記者:では、この映画の中で新しいことは、ペニャ・ニエトの大統領就任という出来事ではなく、繰り返し用いられる政治とメディアの手法の方なのですね?

監督:その通りです。新しいのは、ペニャ・ニエトのやり方に異議を唱えるために、政治とメディアの戦略的な手法を詳細に描き出したことです。

過去には当局による検閲の動きも

 ルイス・エストラーダ監督は、「ラ・レイ・デ・エロデス」公開にからんで生じた非常に不愉快な事態を、忘れたことはない。当時は、20世紀最後のPRI政権となったエルネスト・セディージョ政権の末期だったが、そのセディージョ政権が検閲を行おうとしたことで、難しい事態が生じたのだ。それにより、当時、メキシコ映画協会(IMCINE)の会長だったエドゥアルド・アメレナ氏は、1999年12月、辞任を余儀なくされた。

 アメレナ氏は、エストラーダ監督がストーリーの結末を変えたと訴えた。というのは、アメレナ氏によれば、主人公(今回と同様にダミアン・アルカサルが演じた)が、犯した悪事のために罰せられるのではなく、処罰を受けない内容になっていたからだ。

 2000年12月3日のレフォルマ紙の記事によると、当時、文化芸術庁(CONACULTA)の局長だったラファエル・トバル・イ・デ・テレサ氏は、「ラ・レイ・デ・エロデス」の件について、「映画関連の当局(IMCINE)が、封切り直前になるまで、脚本をしっかり読みもしなければ、映画を見てみることもしなかったことが、あの件の原因だった。IMCINEは映画を見て、まるで時限爆弾を手にしたようにおびえ、異例の上映中止を決定した」と述べた。

 当時、コラムニストたちの間では、この映画の黒幕は国民行動党(PAN)だとか、カルロス・サリーナス自身が映画を支援したとか、ありとあらゆるうわさが流れていた。結局、「ラ・レイ・デ・エロデス」は上映され、大成功を収めた。あまりの成功に、テレビサのエミリオ・アスカラガ・ジャン社長と親しくする人々が、「『ラ・レイ・デ・エロデス』はアスカラガ社長のお気に入りの映画だ」と語るほどだった。

 アメレナ氏は、IMCINE会長辞任から2年後に行われたレフォルマ紙のインタビューにおいて、「『ラ・レイ・デ・エロデス』はPRIと体制を攻撃する転向映画で、公開する価値のない作品だ」というラファエル・トバル氏の言葉に触れ、トバル氏に直接的な責任があると語った。

 「ラ・レイ・デ・エロデス」から15年たち、「完璧なる独裁」が公開される現在、皮肉なことに、ラファエル・トバル氏は、再びCONACULTAの局長を務めている。15年前との違いは、今回は上映や宣伝を阻止することができなかったことだ。

 エストラーダ監督は、ビセンテ・フォックス政権時代に、フォックス政治をパロディーにした「エル・ムンド・マラビジョーソ(すばらしき世界)」を公開した。上映期間は2週間だった。当時のサンティアゴ・クレエル内務相は、この作品を無視する方針をとり、当局も「見ざる聞かざる」を決め込んだため、検閲の動きはなかった。

 一方、メキシコ独立200周年の2010年に公開された「エル・インフィエルノ」は、フェリーペ・カルデロン政権を大いに不快にした。エストラーダ監督は、この映画のために、IMCINE、CONACULTA、メキシコ市政府から支援を受けた。政治家と麻薬組織の共謀についての生々しいストーリーは、観客に衝撃を与えたが、ホアキン・コシオ演じる麻薬マフィアのエル・コチロコは、逆説的にも、作中では最も愛すべき人物として描かれていた。

 エストラーダ監督によると、当局は、「エル・インフィエルノ」が国章国旗及び国歌の特徴と使用に関する法律を侵害している可能性があるとして、上映を阻止しようとしたが、できなかった。この作品について、当時のカルデロン大統領が明白に言及した唯一の機会は、ジャーナリストで作家のデニス・マエルケルのインタビューにおいてだった。そのインタビューで、カルデロン大統領は、「エル・インフィエルノ」を見ていないとつっけんどんに言ったが、政府の麻薬戦争に協力しない「悪いメキシコ人」のことは批判した。

記者:「ラ・レイ・デ・エロデス」や「エル・インフィエルノ」のときに起こったことと、今回の「完璧なる独裁」で起こっていることの間には、何か類似点があると思いますか?

監督:バルガス・ジョサが「完璧なる独裁制」と形容した20世紀の政治体制と、現在の政治体制の間に、類似点を見ています。というのは、今回もまた、脚本について、私が「当局をだました」といううわさが流れているからです。ですが、おもしろいのはこれからです。この映画を見た後も、人々はニュース番組を、今までと同じ視点で見るだろうか? それが、私が投げかけた疑問です。

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