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存在の耐えられないLight

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マリア・デル・ピラール・モンテス・デ・オカ・シシリア
Animal Gourmet 2017/02/20 (Algarabia)

 度を越した「見た目」崇拝は、20世紀半ば以降の西側社会の性格を表す大きな特徴だ。見た目の基準(極端にやせている、筋肉がついているなど)をクリアするために、多くの人がダイエットをし、うんざりするようなエクササイズを繰り返し、体重やサイズとの休みなき戦いを「助ける」商品(なかには、健康を害するような商品もある)を買い求めてきた。

 私は、Lightというへんてこな言葉が嫌いだ。英語では当たり前の単語Lightは、多くの人に「光」を連想させるが、私が嫌いなのは、2番目の意味(軽やかな、体重が軽い、太さや厚さが少ない)のLightだ。ちなみに、Lightの語源は古英語のLeohtで、その後、中英語期にLihtとなった。オランダ語のLicht、ドイツ語のLeicht、古ノルド語のLettr、ゴート語のLeihtsも、同じ語源と同じ意味を持つ。

 Lightという言葉は、英語では紀元後900年以前から使われてきた。そのため、一般的でなじみ深く、誰もがこの言葉を使う。とは言え、誰もが正しいつづりで書けるとは限らない。英語圏の人にとってもLightのつづりは難しいため、米国では、正式ではないが、Liteと書くことも受け入れられつつある。

低カロリー生活

 しかし、スペイン語圏では、Lightを正しく発音したり正しく書いたりできる人はいない。間違ってLihgtまたはLigthと書いたり、「ライ」「ラエト」「ライフ」と発音したりする。確かに、スペイン王立アカデミーのスペイン語辞典には、英語の単語として、すでにLightが収録されていて、「1.通常より低カロリーに作られた飲み物や食べ物 2.有害物質が少ないタバコ 3.(皮肉で)本来の性質の大部分を失ってしまった人や物(例.ライト・コミュニスト)」と定義されている。しかし、いまだなじみが浅く、とても難しく、というよりはむしろ、最悪な言葉だ。

 Lightなものは、あらゆる意味でマイナスだ。スペイン語単語としてのLightの響きは致命的だし、Lightな食べ物はまずい。Lightなタバコはタバコの味がしないし(おまけに添加物のせいで一層有害だ)、Lightな人間は小心で安っぽい。Lightな恋愛は恋愛ではないし、Lightな愛撫は愛撫とは言えない。Lightなセックスは言うに及ばず。

 しかし、実際には、私たちはLightが支配する世界に生きている。誰もがみな無意識のうちに、Lightなら食べても太らず、飲んでも酔っ払わず、吸っても死なず、Lightで永遠の命が手に入ると思っている。

 この集団的無意識の原因は、私たちが、食べ物の出どころである畑や農業から遠いところにいることだ。私たちは、食べ物はスーパーマーケットから出てくると思っていて、ある食べ物が何からできているか、まったくわかっていない。スーパーマーケット、消費主義、マーケティングに対して、防御する術を持たない。だから、Lightな商品を選んでしまって、しかもそれが好きだと勘違いしてしまうのだ。これは、明らかに危険なことだ。

 砂糖不使用のLightな商品はひどいものだ。砂糖の代わりにアスパルテームが使用されていて、後味がひどく悪い。それに、アスパルテームが体に及ぼす害を知っていたら、食べてみようとさえ思わないはずだ。

アスパルテーム

 この合成物は、1965年、サール社の研究室で潰瘍薬を開発していた化学者のジェームズ・シュラッターが発見したものだ。シュラッターは、二つのアミノ酸を合成すると、甘い味の物質ができることに気がついた。

 アスパルテームを商品化したニュートラスイート社はモンサントの子会社で、モンサントは、オレンジ剤(ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤)を製造した企業だ。モンサントの研究・製品は、人間や動植物、環境全般に害を及ぼす現実的・潜在的危険性のために、世界中で論争の的となってきた。現在は、主に遺伝子組み換え作物を生産している。

 しかし、有害とか危険とかいうことよりも、何よりもまず、Lightな商品はまずい。本当に恐ろしくまずい。たとえば、食事のときに、コカ・コーラ・ゼロなどのLightな飲み物を飲むとしたら、それはつまり、食事を台無しにすることだし、味音痴だと公言しているようなものだ。同じ食事をワインと共に取れば、ワインの酵素が消化を助け、脂肪の分解を促進してくれる。ビールでもいい。とてもおいしいから。

 上等の牛フィレのステーキを食べながら、Lightなドリンクを飲みたい人がいるだろうか? 第一、どうやって肉を消化するのか? Lightな食後デザートやクッキーも同じことだ。筆舌に尽くしがたいまずさで、とても耐えられない。

 Lightな人間というのも、あらゆる意味で軽蔑に値する。すでに30年以上前に、ミラン・クンデラが著書「存在の耐えられない軽さ」に書いたように、Lightな人間は何の約束もせず、何も知らず、何も掘り下げようとせず、あらゆることの傍観者でいようとし、自分では生きていると思っているが、実は死んでいる。

 要するに、私にとってLightは、上から見ても下から見ても、誰にどう説得されようとも、断じて無意味なガラクタなのだ。ああ、考えるべきことがたくさんある。だから、ちょっと失礼して、ビールをもう一杯。

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