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10月2日、トラテロルコと無処罰の長い闇

「トラテロルコの事件に対する無処罰が、現在の無処罰を助長していると確信している」

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写真:1968年は、様々な国での社会的な抗議や、若者の運動に対する当局の絶え間ない弾圧によって、メキシコでも世界でも、悲惨で、歴史に残る、象徴的な年となった。トラテロルコの三文化広場における10月2日の学生たちの大虐殺から45年を迎えた今日、犠牲者の遺族のための裁判は行われておらず、国はますます、社会の要求から離れて行くように見える (Archivo General de la Nacion)

ハビエル・スーニガ (アムネスティ・インターナショナル特別顧問)
Terra 2013/10/02

 日が暮れようとしていた。私は、三文化広場に面した通りから、群衆を見つめていた。

 「軍隊だ! 軍隊だ!」 付近の建物から、人々が叫び始めた。その時、小型の装甲車数台と、ライフル銃を持った兵士たちが、広場に入ってくるのが見えた。私は、小さな娘と妻を連れてそこを去り、近くの建物に避難した。

 避難しようと走っていたとき、ヘリコプターがその上空を飛び、信号弾を発射した。そして、銃撃が始まった。

 翌日の早朝、私たちは、メキシコ市トラテロルコ地区にある三文化広場に戻った。そして、山積みになった大量のベルトや靴を目の当たりにした。地面には血だまりが残っており、広場の周囲にあったセメントの柱には、目の高さに銃弾の跡が残っていた。

 その頃、私は大学の教員だった。ストライキ中の私の学生たちに会うために三文化広場に行き、1968年学生運動の抗議デモに付いて歩いていたのだ。しかし、その抗議活動と残虐な弾圧の残響は、私たち全員にとって、無処罰の教訓へと変わることになる。

 これが、「トラテロルコの大虐殺」と呼ばれるようになった事件についての、私の経験である。45年の年月が経っても、その10月2日のことは、決して忘れない。

 また、この日は、メキシコでまだ続いている人権侵害を考えるとき、現在でも目安とされる日となっている。

 三文化広場で起こった大虐殺ほど、明白で言語道断な無処罰の事例は、ほとんどない。今でも何百人もの生存者(つまり、目撃者)が存在している。大虐殺に関与した何百人もの軍の兵士や関係者は、まだ生存しており、当時上官であった者たちの名前も知られている。その当時、大統領であったディアス・オルダスは、あの事件についての軍の責任を認めさえした。

 しかしながら、この大虐殺に関与したことで、裁かれたり有罪になったりした者は、ひとりもいない。許しがたい不正義である。

 私がアムネスティ・インターナショナルで働き始めてから、この10月で36年になる。多くの人々と共に、アメリカ大陸やその他の地域における無処罰に対して戦ってきた。この36年間、過去に行われた人権侵害についての無処罰の厚い壁が、どのようにして崩壊し始めたのかを、グアテマラやペルー、アルゼンチン、チリにおいて見てきた。しかし、メキシコでは見ていない。

 あの痛ましい45年前の10月2日の被害者たちに、真実と正義と償いが行われないうちは、私にとっても、生存者たちにとっても、メキシコの社会にとっても、トラテロルコは、開いたままの傷口であり続けるだろう。

 私は、トラテロルコの事件に対する無処罰が、現在の無処罰を助長していると確信している。

 「なぜ無処罰なのか? なぜ? なぜ?」 何千回も自分に問いかけた。答えは、メキシコの政治システムの根本的な性質と、様々な副次的側面にあると考えている。

 独立以来、メキシコの政治システムにおいては、共和国大統領が支配力を握ってきた。その支配は、メキシコ革命後、さらに強固になった。

 その結果、1968年には、大統領という存在が、絶大な権力を持つ、批判することが許されない存在のようになっていて、大統領は、国の体制全体について、絶対的な権力を行使していた。ディアス・オルダス大統領は、軍人の独裁者ではなかったにもかかわらず、チリの軍幹部であったアウグスト・ピノチェト将軍と同じくらいの、またはそれ以上の権力を持っていた。

 メキシコでは、ディアス・オルダス政権の対反乱戦略の結果、何百人もの人々が、拷問や強制失踪の被害者となった。この戦略によって、政治活動家は追跡され、その対象は、メキシコの様々な地域で活動していた反対派の武装グループだけにとどまらなかった。このような深刻な人権侵害の被害者たちは、完全に運任せの状態であった。

 暗黙の決まりによって、ディアス・オルダス大統領は、後任を指名することができた。トラテロルコ大虐殺の2年後、ディアス・オルダス政権の内務大臣で、直接的に虐殺に関与していたルイス・エチャベリアは、大統領になった。この決定は、無処罰を強固なものにした。そして、その後の歴代制度的革命党(PRI)政権は、説明責任を拒否することで、無処罰を揺るぎないものにした。

 犠牲者と社会が、トラテロルコやその時代に行われたその他の深刻な不法行為について、ついに真剣な調査が開始されるだろうという、ある種の希望を抱くことができるようになるためには、2000年のPRI政権の終末と、ビセンテ・フォックス大統領の就任を待たなければならなかった。フォックス大統領就任後、調査が実現されるように、専門の連邦検察官の任命さえ行われた。しかし、結局、何も起こらなかった。犯罪者たちは、特権を享受し続けた。

 深刻な人権侵害を犯した政治家や官僚に無処罰が保証されているという印象は、メキシコの社会を暗くした。今日では、行方不明になる人々は、もはや政治活動家でも左翼ゲリラのメンバーでもない。いかなる人であっても、間違った時間に間違った場所に居合わせれば、強制失踪や拷問の被害者になる恐れがある。

 ここ数年、拷問や強制失踪の報告数は、今年8月にヌエボ・ラレドで起きた事例も含めて、急激に増加している。それらの報告が示すところによると、そのような深刻な人権侵害の犯人は、警察と軍である。しかし、誰も責任を問われず、犠牲者たちは制度的に無視され、彼らの訴えは顧みられない。そのようなことが身近で起こっていませんか?

 依然として、治安に関する作戦に、人権侵害は付き物である。というのは、当局は見て見ぬふりをし、人権侵害の根絶を拒否するからだ。

 こうして見ると、トラテロルコ大虐殺における真実や正義の不在と、現在行われている人権侵害は、直接的につながっている。

 メキシコは、45年間、無処罰に苦しんでいる。もし政府が無処罰をなくすために動かないのなら、無処罰は、その毒を広げ続けるだろう。

 エンリケ・ペニャ・ニエト大統領は今、無処罰連鎖のもうひとつの輪になるのか、それとも、無処罰を一気に根絶する大統領になるのか、決断する機会を手にしている。

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