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テオティウアカンの経済・社会組織

テオティウアカンの城砦は、政治・経済・社会の中心となり、重要性を増していった。

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 テオティウアカンの城砦には、神々の力を象徴する神殿や、地上の権力者である支配層の住居がありました。とりわけ重要な建築物であった羽毛の生えた蛇の神殿の両脇には、支配層の中でも特に地位の高い人々の住居がありました。この城砦の、死者の大通りをはさんだ真向かいには、市場が建設されました。神と権力を象徴する場所と様々な物が交換される商業の場が近接していたことは、テオティウアカンの発展にとって重要なことでした。

 城砦が神と権力の場であったのに対し、城砦から500メートルの地点にあったラ・ベンティージャ地区には、テオティウアカンの住民が住んでいたアパート式住居がありました。これらの住居群の中には、美しい漆喰を施した壁面に壁画が描かれた富裕層の住居と、装飾のない職人階級の住居がありました。このことは、テオティウアカンの社会が、明確に階層化されていたことを示しています。

 また、死者と共に埋められた副葬品(土器や彫刻)や壁画も、テオティウアカンの階層化された社会組織を知るための重要な尺度となります。例えば、テパンティトラ地区には、トラロカンと呼ばれる壁画があります。この壁画には、裸足で、ふんどしのようなものを身につけただけの大勢の人々が、ボールで遊んだり、蝶を追いかけたり、川で泳いだりしている様子が描かれています。明らかに田舎の風景で、泉から湧き出る水が、花やトウモロコシ、豆、カボチャなどを植えたチナンパ(浮き畑)へと注いでいます。

 しかし、同じ壁画の別の部分には、裾飾りのついた衣服や靴、装飾品で豪華に着飾った人々が、彩色されたスティックを用いて球技をしている場面が描かれています。建築物の外観や球技場の得点板などから、都市の風景であると考えられます。また、大きな髪飾り(木製の骨に大量の羽飾りを付けた手の込んだもの)や木綿の美しいケチケミトル(女性用の貫頭衣)、スカートなど、豪華な衣装を身に着けた人物も描かれています。一方、それらの着飾った人々のそばには、足の悪い人や病人、小人症の人、装飾のない土製の小像や石の彫刻が描かれています。二つの異なる社会集団が描かれた壁画にも、テオティウアカンの社会階層が表れています。

 壁画には、装飾をたくさん施した儀礼用の衣装を身につけた人物の姿も描かれています。これらの人物は、緑色の石でできた腕輪、首飾り、耳飾り、鼻輪、緑色の長い羽根の装飾などを身につけていることから、聖職者の身分であることがわかります。この緑色の石や羽根は、テオティウアカン周辺で採れるものではありませんでした。緑色の石は、現在のゲレロ州やオアハカ州にあたる地方で、ケツァルの長い羽根は、チアパス州やグアテマラにあたる地方で採れたもので、戦利品として奪ったり、遠隔地交易によって手に入れたりして、テオティウアカンまで運ばれたものでした。

 遠隔地との交易を行っていたのは、テオティウアカン都市部の商人地区やオアハカ地区の人々でした。オアハカのモンテ・アルバンでは、テオティウアカン様式の土器が出土していることから、土器の製造において、テオティウアカンの影響を受けていたことがわかります。また、ベラクルスのマタカパンやホンジュラスのコパン、グアテマラのカミナルフユなどでも、テオティウアカン様式の土器が出土しています。このことは、テオティウアカンという大都市の影響が、メソアメリカの離れた地域にまで及んでいたことを示しています。

 テオティウアカンの社会は、はっきりと階層分けされた社会でした。都市住民のほとんどは、人口の大部分を占めていた農民でしたが、農民以外にも陶工、織工、石工、大工、工芸品の職人、建築現場のレンガ職人、漆喰職人、作業労働者などの職業に従事する人々があり、社会階層のピラミッドの底辺を形作っていました。これらの仕事は、農民が兼業で行っていたと思われます。ほとんどの農民が、屋内では布を織ったり土器を作ったりするほか、大きな公共事業に労働力を提供したり、戦争に参加したりしました。最上位の社会集団は、壁画にも見られるように、聖職者と戦士でした。テオティウアカンが、複数からなる支配層によって支配されていたか、王のような一個人によって支配されていたかは、まだわかっていません。しかし、確かなことは、テオティウアカンが政治的・社会的な支配のしくみを作り上げ、メソアメリカの広範な地域とも交流していたということです。

(メヒコデスコノシード)

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